他人とお金で比べてしまう
たにんと おかねで くらべてしまう
周りの収入や暮らしぶりが気になって落ち込む
この悩みについて
友人のSNS、同級生の結婚報告、同僚の昇進。目に入るたびに、自分の収入や生活と比べて小さく落ち込む。比べても仕方ないと分かっているのに、つい見てしまい、また凹む。そんな循環に心当たりはありませんか。
他人との比較は人間の自然な習性ですが、お金のように数値化しやすい領域では特に苦しくなります。哲学者たちは、比較という病と幸福の関係を考えてきました。
【哲学はこの悩みをどう見るか】
ルソーは『人間不平等起源論』で、人間の苦しみの多くが「自己愛(アムール・ド・ソワ)」ではなく「利己愛(アムール・プロプル)」に由来すると論じました。自分を大切にする感情ではなく、他人との比較で優劣を気にする感情こそが不幸を生むという分析です。
エピクロスは、自然で必要な欲望はわずかしかないと説きました。他人と比べて足りないと感じるものの多くは、そもそも自分の幸福に必要ではない。比較によって作られた偽の欲望を手放すだけで、自分に必要な量が見えてきます。
アドラーは「課題の分離」を説きました。他人がどれだけ稼ぐかは他人の課題、自分がどう生きるかは自分の課題。混同すると、コントロールできないものに自分の幸福を預けることになります。
【ヒント】
SNSや会話で比較の種を浴び続ける環境を、少しずつ減らしてください。見なければ比較は起きません。
さらに深く
【実践に使えるアプローチ】
■ ルソーの「2種の自己愛」で感情を見分ける
落ち込んだとき、それは「自分を大切にする感情」か「他人に勝ちたい感情」か。ルソーの区別を使って自分の感情を2つに分けてみてください。自己愛なら守り、利己愛なら手放す。この仕分けだけで、振り回される時間が減ります。SNSを閉じたあとに残るのが「自分の生活への愛着」か「相手への嫉妬」かを確かめる習慣をつけると、比較の毒が少しずつ抜けてきます。
■ エピクロスで「本当に必要なもの」を見直す
他人と比べて足りないと感じるものを3つ挙げ、それぞれを「自然で必要」「自然で不要」「不自然で不要」のどれかに分類してみる。3つ目だと気づいたら、そもそも自分に必要なかったと納得できます。欲望の質を見直すことが、比較のダメージを減らします。他人が持っているから欲しいのか、自分の生に本当に必要なのか。その問いで、不要な不足感の多くは消えていきます。
■ 見える範囲をコントロールする
アドラーの「課題の分離」に従えば、他人の年収や暮らしぶりは他人の課題です。他人の生活が自動で視界に入ってくる現代は、比較の材料が過剰です。タイムラインをミュートする、見て消耗するアカウントのフォローを外す、通知を切る、同窓会や飲み会を選んで断る。見ている時間と内容を自分でデザインするだけで、比較の頻度は大きく下がります。情報との距離の取り方は、意志ではなく設定の問題です。設定を整えた環境のなかで、自分の生活を自分の目で見つめる時間が取り戻されていきます。
【さらに学ぶために】
ルソー『人間不平等起源論』は、比較と不平等の起源を論じた古典で、他人との比較に苦しむ現代人にも響きます。岸見一郎《きしみいちろう》・古賀史健《こがふみたけ》『嫌われる勇気』は、アドラーの課題の分離を通じて比較から距離を取る実践書です。


