『荒野のおおかみ』
こうやのおおかみ
現代
中年知識人の内的分裂を描くヘッセ中期の自伝的長編
この著作について
ヘルマン・ヘッセが1927年に公刊した長編小説。『シッダールタ』『デミアン』に続くヘッセ中期の自伝的作品で、中年期に入った知識人の分裂した精神を赤裸々に描き、1960年代カウンターカルチャー世代に熱狂的に支持された現代の古典である。
【内容】
50歳近い孤独な文学者ハリー・ハラーは、自分を「人間と荒野のおおかみ(ステッペンヴォルフ)の二重存在」と感じ、市民社会への嫌悪と精神的貴族性への自負の間で引き裂かれている。ダンスホールで出会った若い女性ヘルミーネに導かれ、ダンス・享楽・性といった軽やかな世界を経験し、最後は幻想的な「魔術劇場」で自分自身の多層性と向き合う。モーツァルトの音楽と自己の解体が交錯する結末は、後のニューエイジ的精神風景を先取りする。
【影響と意義】
同時代の精神分析(ユング派との交流)と対話しつつ書かれ、中年期危機(ミッドライフ・クライシス)の文学的古典となった。60〜70年代の反体制運動の精神的必読書ともなり、バンド「ステッペンウルフ」の名の由来にもなっている。
【なぜ今読むか】
中年期の空虚と分裂、そして再統合の可能性を描く文学として、いまも多くの読者を揺さぶり続けている。
どの訳で読むか
紙の文庫で読めるのは新潮文庫の高橋健二訳で、電子書籍もあり、訳者はヘッセ本人と交流のあったドイツ文学者である。別の訳と読み比べたいなら、電子書籍で永野藤夫訳が読める。永野訳は書名を「荒野の狼」と漢字で表記するので、探すときは両方の表記を試すとよい。
高橋健二訳新潮社・新潮文庫、1971年
Amazonで探す1971年3月に新潮文庫で発売され、いまの版は352ページ。2016年4月から電子書籍も配信されている。版元の訳者紹介によれば、高橋は1931年のドイツ留学中にヘッセと知り合って交流を始め、ヘッセの全集の全訳と別巻の研究書で1957年に読売文学賞を受けた。
永野藤夫訳グーテンベルク21・電子書籍
Amazonで探すかつて講談社文庫に入っていた訳で(1974年の版が国立国会図書館にある)、いまはグーテンベルク21の電子書籍で読める。BOOK☆WALKERでの配信開始日は2013年6月20日。書名の「おおかみ」は漢字の「狼」で表記される。
ほかに、臨川書店から出たヘッセ全集の第13巻(2006年、日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会編訳)に、「東方への旅」とともに別の訳が収められている。
さらに深く
【内容のあらまし】
本の最初に置かれるのは、ハラーに屋根裏部屋を貸した家の甥が書く「編者の序文」だ。五十歳近いこの男は九か月か十か月住んだのち、支払いを済ませて挨拶もなく町を去り、原稿だけを残した。甥が覚えているのは、階段の踊り場に腰を下ろし、ナンヨウスギの鉢の前の床ワックスとテレビン油の匂いに、市民の暮らしの清らかさを嗅いでいた姿である。甥はこの手記を、一人の病ではなく時代そのものの病の記録として世に出すと言う。
続く手記には「狂人のためだけに」と副題がつく。雨の晩、古い壁に「魔術劇場、入場は誰にでも許されるわけではない」という光の文字が走っては消える。プラカードの男から受け取った薄い冊子は、荒野のおおかみを論じていた。この作中作は、五十歳の誕生日を剃刀で命を絶ってもよい日と決めて痛みをしのぐハリーを描き、悲劇に突き抜ける力はなく市民の世界にとどまる者に開かれた第三の国として、ユーモアを挙げる。狼と人間の二つに分ける見方を素朴な単純化だと退け、人は百枚の皮を重ねた玉ねぎのように数えきれない魂からなると説く。
ハリーは見知らぬ葬列に加わり、プラカードの男らしき人物から「黒鷲」へ行けと言われる。旧知の教授の家では、夫人の大事にするゲーテの銅版画をこき下ろし、新聞で非難される反戦の物書きハラーとは自分のことだと明かして飛び出す。剃刀の待つ部屋に帰れずにさまよった末、黒鷲の店でヘルミーネと出会い、踊れないと言って叱られる。眠った彼の夢で、ゲーテは、永遠とは冗談一つにちょうど足りる一瞬だとささやく。
数日後の食事の席で、ハリーは少年時代の友ヘルマンに似た面差しから彼女の名を言い当てる。彼女は、恋させたうえで最後の命令を下し、ハリーに自分を殺させると告げる。ハリーはフォックストロットを教わり、パブロやマリアと知り合い、地下が地獄に飾られた仮面舞踏会へ出かける。
舞踏会のあと、パブロは青い光の丸い小部屋で、狼の姿が流れ込んだハリーの像を手鏡で見せ、劇場の廊下でもう一度鏡を向けて笑い飛ばさせる。像は消え、剃刀ではなく笑いで荒野のおおかみを殺す、見せかけの自殺が済む。大鏡の中では彼が無数のハリーに分かれ、廊下には「自動車の大狩猟」「人格の組み立て方の手引き」などと書かれた扉が並ぶ。手引きの扉の奥ではチェスの指し手が、ばらばらになった自我を駒にして組み直してみせる。狼の調教の見世物から逃げ、少年の日からの恋を生き直したハリーは、「愛による殺し方」の扉の前で、駒の代わりにナイフが出てきて驚く。やがて「ドン・ジョヴァンニ」で石像の客の登場を告げる音楽が鳴りわたり、モーツァルトが笑いながら通り過ぎていく。
著者
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