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『科学哲学の冒険』

かがくてつがくのぼうけん

戸田山和久《とだやまかずひさ》·現代

名古屋大教授による対話形式の科学哲学定番入門書

哲学科学

この著作について

名古屋大学教授・戸田山和久《とだやまかずひさ》(とだやま・かずひさ)が2005年にNHKブックスから刊行した科学哲学の入門書。対話形式を採用した平明な文体と徹底した実在論擁護の姿勢で、日本語で書かれた科学哲学入門の決定版として読み継がれている。

【内容】

構成は哲学科志望の大学生テツオと先輩ナツキ、教員センセイの三人の対話で進む。帰納の問題、ポパーの反証主義、クーンのパラダイム論、ラカトシュの研究プログラム、ファイヤアーベントのアナーキズム、構成主義と社会構築主義、科学的実在論と反実在論、観察の理論負荷性、説明のDNモデル、法則の哲学といった中心論題が、具体例とともに噛み砕かれる。戸田山自身は「科学的実在論」を論争的に擁護し、相対主義・反実在論への反論を全編に織り込む。各章末の「読書ガイド」は日本の科学哲学コミュニティへの導入地図としても秀逸で、この一冊を経由して専門書に進む読者が二十年にわたって生まれ続けている。

【影響と意義】

同じ戸田山の『論理学をつくる』『哲学入門』と並んで、日本の哲学教育の標準的テキストとして教室・教科書・読書会で広く採用されている。大学初年次のリテラシー教育、サイエンス・コミュニケーション、ジャーナリズム教育の現場でも参照されている。

【なぜ今読むか】

生成AIや再現性危機、疑似科学の拡散が議論される現代において、「科学とは何か」をまず一冊で把握するための最適な入口である。

さらに深く

【内容のあらまし】

本書は3部9章からなり、科学哲学を教える大学教師のセンセイと、理系のリカ、現代思想好きのテツオという二人の学生の会話で進む。第1章は、デカルトもライプニッツもじつは科学哲学者だったという話から入り、本書が自然主義と科学的実在論に立つことを明かす。第2章は演繹と帰納を復習し、仮説演繹法と、理論と観察の関係へ進む。

第3章「ヒュームの呪い」は、帰納を正当化できるかという第一の謎から始まり、帰納を追い出そうとするポパーの反証主義、科学とトンデモの線引き問題を経て、次のエメラルドは緑か青かという第二の謎に行き着く。第4章は、説明を推論とみるDNモデルの困難を確かめ、原因を突き止めることこそ説明だとする因果メカニズムモデルを検討したうえで、説明の目的は原因の特定だけなのかと問う。

第2部の主題は、「電子は実在する」と言うことがなぜこれほど難しいのかだ。第5章では社会構成主義と反実在論が強敵として現れ、論争は独立性テーゼと知識テーゼへの賛否を軸とした四分割の表で整理され、構成的経験主義が最強の敵とされる。第6章は三つのラウンドの対戦で、奇跡論法による実在論の擁護に始まり、観察可能と不可能の区別への疑い、決定不全性へと進む。奇跡論法への反論であるラウダンの悲観的帰納法に対し、本書は、理論の間違った部分が成功に関わっていたことまで示さなければ足りないと応じ、エーテルの場合もマクスウェル方程式は生き延びたと指摘する。決定不全性は、観察データだけでは理論を一つに選べない問題として示され、合理性の基準を持ち込めば科学的な合理性の範囲内で解消できるとされる。

第3部で著者は自分の立場を組み立てる。第7章は「基本法則は嘘だからこそ役に立つ?」「われ操作す、ゆえにソレあり」の二節で、理論の実在論と対象の実在論を切り分ける。第8章は、科学理論を文の集まりとみる見方を、法則偏重の弊害と理論の変化を扱えない点から退け、理論を実在のシステムに似たモデルとみる意味論的捉え方を推す。長所は、抽象化と理想化を正当に扱え、図やグラフも視野に入り、さまざまな説明を統一的に捉えられる点だ。最終章は、説明とは世界にある反事実的依存関係のパターンに被説明項を埋め込むことだとし、その方法に法則からの演繹、原因の突き止め、理論的同一視、実現メカニズムの提示を挙げる。科学の目的は実在のシステムに重要な点でよく似たモデルを作ることで、文字通りの真理は目指さない。残る宿題は科学の方法そのものの正当化で、帰納を使ってよい究極の理由は、宇宙のなかの私たちのいる場所が帰納の役に立つ場所だから、という見方が出てくる。

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