『カタロニア讃歌』
かたろにあさんか
現代
スペイン内戦に従軍したオーウェルの証言文学
この著作について
ジョージ・オーウェルが1938年に公刊した、スペイン内戦への従軍体験をもとにしたルポルタージュ。『動物農場』『1984年』の背景となる彼の政治的覚醒を、当事者視点で記録した証言文学である。
【内容】
1936年末から半年あまり、オーウェルはマルクス主義統一労働者党(POUM)民兵として共和国側で戦い、バルセロナ戦線の凍える塹壕、食糧不足、銃弾が首を貫く負傷、そしてスターリン派による同志の粛清を体験する。前線の兵士と銃後の政治抗争の両方を冷静な筆致で描き、左翼内部での裏切りと情報戦によって歴史が歪められる過程を当事者の記憶として残した。『パリ・ロンドン放浪記』に続く体験的ジャーナリズムの到達点。
【影響と意義】
左派内部の全体主義傾向に対する早期警鐘として、戦後の冷戦下の知識人論に決定的影響を与えた。現代のジャーナリズム倫理・戦争報道・事実と語りの関係を考える際の基礎文献として読み継がれる。
【なぜ今読むか】
戦争と情報操作が同時進行する現代において、「自分が見たことを書く」という原点が何を意味するかを再確認させる。
どの訳で読むか
2026年10月時点で買えると確かめられたのは、電子書籍で出ている橋口訳と高畠訳である。内戦が終わったあとに書かれた回想録「スペイン戦争を振り返って」もあわせて読みたいなら、版元の紹介でそれを併録するとわかる橋口訳がよい。紙の文庫では、岩波文庫の都築訳や、巻末に年譜がつくハヤカワ文庫NFの新庄訳もある。
橋口稔訳筑摩書房・ちくま学芸文庫、2002年
Amazonで探す同じ訳者の訳は、1962年に筑摩書房から他の二作と合わせた一巻で出ており、1970年には筑摩叢書の一冊になった。文庫には、内戦が共和国政府の敗北で終わったあとに書かれた回想録「スペイン戦争を振り返って」を併録する。紙の本は版元のサイトで品切れと表示されている(2026年10月時点)。電子版はある。
高畠文夫訳グーテンベルク21・電子書籍、2003年
Amazonで探す同じ訳者の訳は1975年に角川文庫で出ている。グーテンベルク21の電子版は国立国会図書館の書誌では2003年刊で、電子書店ブックウォーカーでは2015年4月17日に配信が始まり、2026年10月時点でも買える。
都築忠七訳岩波書店・岩波文庫、1992年
Amazonで探す岩波文庫の赤262-3。1992年5月刊。版元の紹介は、共和国側民兵部隊に参加した体験に基づく臨場感あふれるルポルタージュで、スペイン市民戦争の貴重な証言だとする。版元ドットコムの書評掲載情報によれば、2022年1月に東京新聞・中日新聞に粂川麻里生の書評が出ている。
新庄哲夫訳早川書房・ハヤカワ文庫NF、1984年
Amazonで探す国立国会図書館の書誌によれば、巻末の353〜362ページにオーウェル年譜がつく。
鈴木隆・山内明訳現代思潮新社・オンデマンド版、2008年
Amazonで探す1966年に現代思潮社から出た訳のオンデマンド版(国立国会図書館の書誌による)。
さらに深く
【内容のあらまし】
巻頭には旧約の箴言から、愚か者に答えるな、答えよ、という正反対の二節が並べて掲げられる。本文はバルセロナのレーニン兵舎で見かけたイタリア人民兵の話で始まる。部屋を出るとき固く手を握ってきたその男に、第一印象を保つにはもう会わないほうがよいと知って、オーウェルは二度と会わなかった。その姿は、この時期の空気を象徴するものとして記憶に残ったという。1936年12月の街では大きな建物が労働者に接収され、へりくだった言葉づかいが一時的に消えて、誰もが同志と呼び合っていた。わからないことも気に入らないこともあったが、戦うに値する状態だとすぐにわかったと彼は書く。
兵舎の教練は行進ばかりで、銃の扱いは教わらない。教える銃がなかったのだ。アルクビエレで渡されたのは1896年製のモーゼル銃だった。塹壕戦で大事なのは薪、食べ物、煙草、ろうそく、敵の五つで、冬の前線ではこの順番だったという。敵機が落としていったのは爆弾ではなく、マラガ陥落を伝える新聞だった。ウエスカ包囲に回ると、明日はウエスカでコーヒーをという将軍の言葉が軍中の冗談になっていた。政治情勢の解説は別の章に分けてあり、党派政治に関心のない読者は飛ばしてよいと断ってある。のちに夜襲に加わって手榴弾を投げ、敵陣で見つけた大きな望遠鏡を、撤退の命令で置いてきたことを、彼はいまも惜しむ。
休暇に出るまで115日を前線で過ごし、4月に戻ったバルセロナからは、革命の空気が消えていた。5月、電話局をめぐる衝突から市街戦が始まると、彼はPOUMの建物を守るため、向かいの映画館ポリオラマの屋上で三日三晩を過ごす。撃たれない限り撃たない命令で、危険はなく、空腹と退屈しかなかったが、人生でもっともやりきれない時期の一つだったという。
前線に戻って十日ほどたった朝5時、胸壁の角で歩哨と話していた彼を狙撃兵の弾が貫く。爆発の中心にいるような衝撃だった。弾が首を抜けたと聞いて頸動脈が切れたと思い込んだ2分ほどのあいだ、最初に浮かんだのは妻のこと、次はこの世を去らねばならない激しい腹立ちだった。撃った相手はファシストで、殺せるならこちらも殺したはずだが、いま捕虜として連れてこられたなら、腕前をほめただろうと振り返る。除隊の手続きで病院を渡り歩き、夜遅くバルセロナのホテルに戻ると、ラウンジにいた妻が微笑みながら首に腕を回し、耳元で「出ていって」とささやく。POUMは非合法化され、仲間のほとんどが投獄されていた。話はここから、廃教会の瓦礫で夜を明かし、獄中の友人を訪ねて、取り上げられた書状を取り戻そうと走り回る日々へ移っていく。
著者
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