『ケアリング』
ネル・ノディングズ·現代
ケアする者とケアされる者の関係性を倫理的に分析したケアの倫理の理論書
この著作について
教育哲学者ネル・ノディングズが、ケアの倫理を本格的な哲学理論として体系化した現代倫理学の代表作。
【内容】
本書はケアを「原点的な人間関係」として捉え、母と子、教師と生徒、看護師と患者といった具体的な関係からケアの倫理を描き直す。ノディングズは、ケアする者(one-caring)がケアされる者(cared-for)の現実に「専心没入(エンクロッシュメント)」し、その人の利益を自分の動機として引き受ける「動機の移行」を、倫理の根本的な出来事として位置づける。そのうえで、抽象的な普遍的原則に依拠するカント的倫理学を批判し、「自然なケア」と「倫理的なケア」の関係、教育におけるケアの意義、受け手の側のケアの受容が丁寧に論じられる。
【影響と意義】
本書はギリガンの研究を受け止めつつ、ケアの倫理を体系化した初の本格的哲学的試みとして、英語圏で広く参照されている。看護倫理、教育哲学、福祉哲学、フェミニズム倫理学の共通基盤を提供し、日本でも介護、保育、臨床教育の分野で繰り返し参照されている。
【なぜ今読むか】
高齢化、こども家庭、医療、教育など、人と人とが直接支え合う領域の重みは増す一方である。抽象的な原則にもたれず、具体的な関係を倫理の出発点に据えるノディングズの視点は、実践者のための強い拠り所となる。
さらに深く
【内容のあらまし】
本書は序論と8つの章からなる。ノディングズによれば、倫理学はこれまで主に父の言葉で、つまり原理や命題、正当化や公正といった語で論じられ、母の声は沈黙してきた。彼女は、自分の見方は女性的だが、すべての女性が受け入れ、大半の男性が退けるという意味ではなく、受容性と関係性と応答性に根ざすという古典的な深い意味で女性的なのだと断り、出発点を道徳的推論ではなく善くありたいという願いに置く。本書はまた、倫理的判断は普遍化できねばならないという多くの論者の主張も退ける。わたしのすべきことはあなたもすべきだと言えるほど、出会いの条件が似ていることはまれだからだ。
第1章はケアするとはどういうことかを問い、辞書の定義から、何かや誰かを案じる重荷を負った心の状態だとみる。続く2つの章は、ケアするひととケアされるひとをそれぞれ論じる。ケアするひとには、相手の立場を理解しようとする専心没頭と、行動が相手の必要で決まる動機づけの転移が求められる。ケアは受け手が応えて完結するので、受け手もこの関係に欠かせない。規則とぶつかる例として、病気か死亡以外の欠席を認めない学校に、息子の望みを汲んで病気だと嘘をつく親や、チェロ奏者パブロ・カザルスの母の話が引かれる。人を殺すのも殺されるのもいやだと打ち明けた弟のエンリケに、母は「それなら、お逃げなさい」と勧めたという。
第4章は、したいからする自然なケアリングと、せねばならないからする倫理的なケアリングを分ける。人はケアされた経験とケアした経験から、なりたい自分の像である倫理的理想を組み立てる。第5章は、この理想の性質や、倫理的な力が衰える場合、理想を育て保つ道を扱う。本書には遠くの他者をめぐる一節もある。カンボジアの飢えた子どもたちを気にかけて5ドルを送っても、その金が食糧になるのか銃になるのかもわからない。著者はそれをケアの出来の悪いまた従兄弟と呼んだ。こうした考え方は、家庭と小さな共同体にこだわりすぎて偏狭だと批判され、著者は2003年版の序文で、前年の別の著書ですでに訂正したと述べている。
第6章は喜びを基本的な情感として論じ、第7章はケアの対象を動物、植物、物や観念へと広げる。戸口に来た野良猫の世話やクモを外へ逃がす義務はあるが、野良のネズミの世話や菜食主義の義務はないという。最終第8章「道徳教育」は、教師は何よりもまずケアするひとだと述べ、「我と汝」の関係を説いたブーバーにならって、生徒の目と耳を通して題材を見聞きする「包括」を説く。方法として対話、実践、確証が挙げられ、学校では神や性、愛、希望、憎しみも開かれた議論に付すべきだとされる。