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怒

『怒りと赦し:憤激、寛容と正義』

いかりとゆるし

現代

報復的怒りを未来志向の正義へ転換する条件を論じる

哲学倫理学政治哲学

この著作について

アメリカの哲学者マーサ・ヌスバウムが2014年のジョン・ロック講義をもとに発展させた著作Anger and Forgiveness: Resentment, Generosity, Justiceである。Oxford University Pressより2016年に刊行された。本書はnotesに記された通り、現状(2026年時点)で日本語による正式な単行本邦訳は確認できておらず、学術論文・書評で仮訳『怒りと赦し』として広く参照されている。

【内容】怒りには相手の地位を引き下げたい、被害を埋め合わせたいという報復願望(payback wish)が含まれているとし、その願望が因果的にも倫理的にも不合理であると論じる。これに対し、過去の悪を正面から受け止めつつも未来の改善へと向かう「移行的怒り」(transition anger)と寛容の倫理を提示し、私的領域・親密圏・中間領域・政治的正義の各場面における怒りの作法を検討する。マンデラやキング牧師の実践が事例として参照される。

【影響と意義】徳倫理学・感情論・政治哲学を架橋する仕事として広く議論を呼び、修復的司法や移行期正義の理論にも影響を及ぼした。前著『感情と法』からの継続線上に位置づけられる。

【なぜ今読むか】被害者意識と報復の論理が世界各地で政治を動かす現在、怒りを消すのではなく未来へと変換するヌスバウムの提案は、私的関係から国際政治までの幅広い場面で実践的指針となる。

さらに深く

【内容のあらまし】

本は8章と三つの付録からなる。第1章「復讐の女神たちから慈しみの女神たちへ」は、アイスキュロスの悲劇三部作の結末から始まる。アテナは法廷を開いて血の復讐の連鎖を断ち、復讐の女神たちには都市の地下に名誉ある座を与える。犬のようにうめき鼻を鳴らすばかりだった女神たちは、名も「慈しみの女神たち」に改まる。法は怒りを檻に入れたのではなく、怒りそのものを作り変えたのだという。

第2章「怒り 弱さ、仕返し、格下げ」は、アリストテレスの定義から出発する。怒りには、重大な不正を受けたという考えに加え、加害者が報いを受けるのがよいという考えが含まれるため、必ず二つの道のどちらかでつまずくと論じる。「仕返しの道」は、相手が苦しめば損なわれたものが戻ると考えるが、それは筋の通らない宇宙の釣り合いという考えに頼る。「地位の道」は、相手を下げれば自分が相対的に上がるので筋は通るが、地位だけに目を向けること自体に問題がある。警報や動機づけや抑止としての限られた効用は認めたうえで、怒りの不合理に気づいた人が未来に向けた考えへ移る「移行」を描く。怒りのうち問題がないと認めるのは一種類で、中身が「ひどい、何とかしなければ」に尽きる移行的怒りである。例にキング牧師の「私には夢がある」演説が挙がる。ただし現実の怒りには、仕返しの願望が混じる場合が多いという。

第3章「赦し 系譜学」は、ユダヤ教とキリスト教の伝統にある三つの応答を比べる。告白や悔い改めを条件とする取引的な赦し、条件をつけない赦し、無条件の愛と寛大さである。取引的な赦しは仕返しの願望が名を変えて続いたものに見え、条件をつけない赦しも怒りを前提にそれを手放すものだとして、ヌスバウムは三つ目を推し、福音書の放蕩息子のたとえにその姿を見る。章末には聖歌「怒りの日」が付録として置かれる。

第4章「親密な関係 怒りという罠」は親子と夫婦を取り上げる。配偶者の不貞には怒るのが自尊心にかなうと多くの人は考えるが、怒りは人柄を蝕み、たいてい関係を悪くするとして退け、勧めるのは怒りではなく悲しみだとする。第5章「中間領域 留保つきのストア主義」は、軽んじられたことの多くは悲しむにも及ばないほど小さいというストア派に同意する。ただし見知らぬ人による殺人のような重い害は、怒りを交えず法に任せるべきだとする。

第6章は刑罰を応報でなく将来の福祉で考え、犯罪に先回りする取り組みの柱に教育、医療、栄養、政治への参加を挙げる。第7章は、ガンディー、キング牧師、マンデラの運動をたどり、怒らないことは道理の上でも実際の上でも怒りに勝ると論じる。最後の第8章は「世界の目」と題される。

著者

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