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死は我々にとって何ものでもない:この理屈で、恐れは消えますか

生きているあいだ死は来ず、死が来たとき私はいない。だから死と出会うことはない。それで納得できるのか。

エピクロスは言いました。死は我々にとって何ものでもない。 生きているあいだ死は来ておらず、死が来たときには我々はいない。だから死と出会うことはない、と。

まずは選んでみてください。

まず、選んでみる

エピクロスは言いました。死は我々にとって何ものでもない。生きているあいだ死は来ておらず、死が来たときには我々はいない。だから死と出会うことはない、と。

それで、死の恐れは消えますか。

正解はありません。選ぶと、その答えがどの前提に乗っているかが出ます。

この議論を作った人

紀元前4世紀から3世紀にかけて生きたエピクロスです。彼の哲学の目的は、心の平静を得ることでした。

彼が見たところ、人の不安の多くは二つから来ています。神々への恐れと、死への恐れ。 どちらも、正しく考えれば消えるはずだと彼は考えました。

死についての論法は簡潔です。悪いこととは、感じられるものである。死んだ状態には感覚が無い。感覚が無いなら、悪いことも起きていない。

だから死は恐れる対象ではない。恐れているのは、死そのものではなく、死についての想像だ。

4つの答えは、それぞれ別の哲学に立っている

筋道に従う。会うことのないものを恐れるのは、筋が通らない。エピクロスの答えです。論理としては、崩すのが難しい。

起きたことで決める。恐れているのは死の瞬間ではなく、失われるもののほうだ。最も強い反論です。死が悪いのは、生きていれば得られたはずのものを失うからだ、と。これは剥奪説と呼ばれます。

経験を信じる。理屈で片付く種類の恐れではない。現に恐れているという事実のほうを出発点にする答えです。理屈がそれを消せないなら、疑うべきは理屈のほう。哲学が苦手とする種類の反論でもあります。

決めない。そのときにならないと分からない。保留ですが、この問いに関してはかなり誠実な態度です。

ハイデガーは、逆のことを言いました

20世紀のハイデガーは、死を遠ざけるのではなく、引き受けよと説きました。

彼の見立てでは、人はふだん死を他人事として扱っています。人はいつか死ぬ、という言い方で、自分の死を薄めている。

そこから抜け出して、自分がいつか必ず死ぬ、しかも代わってもらえないと引き受けたとき、初めて自分の人生を本気で生きられるようになる。

エピクロスは死を無害だと示して不安を消し、ハイデガーは死を直視させて生を変えようとしました。 方向が正反対です。

「生まれる前」との対称性

エピクロスの議論を補強する、面白い論点があります。

あなたが生まれる前の長い時間を、あなたは恐れていません。 存在しなかった期間という点では、死後とまったく同じです。

なぜ片方だけを恐れるのか。この非対称に、うまい説明が付けられていません。

ただしこれにも反論があります。私たちは未来に向かって生きているので、失われる未来と、そもそも無かった過去は、同じではないという指摘です。

いま、この問いが出てくる場所

終末期の医療では、この問いが実務になります。残りの時間をどう過ごすか、どこまで告知するか。

エピクロスの論法が有効な人もいれば、まったく届かない人もいます。理屈で消える恐れと、消えない恐れがある。

エピクロス自身は、死の床で友人に手紙を書き、痛みのなかでも過去の対話を思い出して幸福だと記しました。理屈だけでなく、生き方のほうで答えを出しています。

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