修理を重ねた船から、元の板が一枚もなくなったとき、それはまだ同じ船なのか。
この問いが厄介なのは、どちらの答えにも、日常で使っている理屈がそのまま乗っていることです。少しずつ直したものを同じと呼ぶのも、材料が違えば別だと言うのも、ふだんの私たちがやっていることです。
まずは選んでみてください。
まず、選んでみる
ある船の板を、傷んだものから順に取り替えていきました。何年もかけて、最後には元の板が一枚も残っていません。取り外した古い板は捨てずに集めてあり、それを組み直すと、もう一隻の船ができました。
元の船は、どちらですか。
正解はありません。選ぶと、その答えがどの前提に乗っているかが出ます。
選べたでしょうか。決められない、を選んだ人もいると思います。それも一つの答えです。
この問いを作った人
1世紀から2世紀にかけて生きたギリシアの著述家プルタルコスが伝えた話です。アテネの人々が英雄テセウスの船を記念に保存し、傷んだ板を取り替え続けた。そのうち哲学者たちが議論を始めた、という記録が残っています。
古い板を組み直してもう一隻を作るという残酷な追加をしたのは、17世紀のホッブズです。一隻だけなら「同じ船だ」で済んだ話が、二隻並んだ瞬間に済まなくなります。どちらか一方しか本物になれないのに、決める根拠がない。
4つの答えは、それぞれ別の哲学に立っている
つながりで決める。修理は一日で終わったのではなく、何年もかけて少しずつ進みました。港に係留され、同じ名前で呼ばれ、一日も途切れていない。その連続そのものを同一性の中身とみなす考え方です。ロックは人格の同一性を記憶のつながりで説明しましたが、船に当てはめると、この立場になります。
素材で決める。できているものが入れ替わったなら、もう別のものだ。分かりやすく、しかも古い板を組み直した船に軍配を上げます。ヘラクレイトスの言葉として広まった「同じ川に二度入ることはできない」は、この見方を突き詰めたときに起きることを言い当てています。ただし本人がそこまで言い切ったかは、別の話です。
かたちで決める。素材ではなく、組み上がり方のほうが本体だとする立場です。アリストテレスは、ものは質料と形相からできていて、そのものを「それ」にしているのは形相のほうだと考えました。設計図が同じで同じように浮かぶなら、板が何であろうと同じ船だという答えになります。
決めない。二隻のうち一隻だけを本物と呼ぶ理由が、どこにも見つからない。これは投げ出しているのではなく、問いのほうに欠陥があると指摘している立場です。同じものかどうかは常に決まるはずだ、という前提を疑っています。
この問いが今も残っている理由
答えが出ないのは、議論が下手だからではありません。私たちが「同じもの」という言葉を、状況ごとに違う意味で使い分けているからです。
修理に出した自転車が同じ自転車なのは、つながりがあるからです。同じ型の別の自転車と区別できるのは、素材が違うからです。データを移し替えたスマホを同じスマホと呼ぶのは、かたちが同じだからです。ふだんは衝突しないので、使い分けていることに気づきません。
テセウスの船は、この3つがちょうど正面からぶつかる形に作られています。
いま、この問いが出てくる場所
会社が創業以来ずっと人が入れ替わっても同じ会社なのか。データを引き継いだサービスは、リニューアル後も同じサービスなのか。体をつくる細胞の多くが入れ替わっていく私は、何年も前の私と同じ人なのか。
臓器移植や記憶の医療が進むと、この問いはさらに具体的になります。どこまで取り替えたら別人か。 その線を引かなければならない場面が、実際に増えています。
板の話に見えて、これは自分の話です。