SF でおなじみの転送装置ですが、仕組みをよく見ると穏やかではありません。元の体は、消されています。
それでも向こうに現れた人は、あなたの記憶を全部持っていて、自分が移動してきたと思っています。周りの誰も違いに気づきません。
これを移動と呼ぶのか、死と複製の組み合わせと呼ぶのか。まずは選んでみてください。
まず、選んでみる
遠くへ移動する装置ができました。あなたの体を細かく調べ、その情報を送り、行き先でまったく同じ体を組み立てます。元の体は送信と同時に消えます。組み立てられた人はあなたの記憶を全部持っていて、自分が移動してきたと感じています。
向こうに現れたのは、あなたですか。
正解はありません。選ぶと、その答えがどの前提に乗っているかが出ます。
この問いを作った人
イギリスの哲学者デレク・パーフィットが1984年に詳しく論じたことで広く知られるようになりました。パーフィットはさらに意地の悪い変化形を加えます。装置が故障して、元の体が消えなかったらどうなるか。
そうすると、あなたが二人になります。二人とも同じ記憶を持ち、二人とも自分が本人だと思っている。もし移動が成立していたのなら、故障したときだけ本人が二人になるのは変です。
ここでパーフィットは、多くの人が予想しない結論を出しました。どちらが本人かという問いには、答えが無い。そして、答えが無くても困らない。 大事なのは同一性ではなく心理的なつながりのほうで、それは程度の問題だから、白黒つける必要がそもそも無い、と。
このあとの4つは、どれも白黒をつける側に立っています。パーフィットの答えは、その4つのどれでもなく、問いの立て方そのものを外すところにあります。
4つの答えは、それぞれ別の哲学に立っている
つながりで決める。記憶も性格も途切れていないなら、それはあなただ。ロックが人格の同一性を記憶で説明したのが、この立場の出発点です。眠って起きても同じ人でいられるのは、記憶がつながっているからだと考えます。
素材で決める。元の体は消えた。向こうにできたのは、同じ形をした別の体だ。日常の感覚にいちばん近い答えで、だからこそ多くの人が転送装置に乗りたくないと感じます。
かたちで決める。同じ組み立て方をされたなら、それはもう同じ人だ。素材が入れ替わることは、実は体の中で毎日起きています。細胞は入れ替わり続けているのに、あなたはあなたのままです。 それを認めるなら、転送も同じことではないか、という反論が成り立ちます。
まわりが認めるかで決める。本人かどうかは中身でなく関係のほうにある、という考え方です。家族が同じ人として迎え、職場が同じ人として扱うなら、それがその人だ。ヘーゲルは、自己は他者に認められることで成り立つと考えました。
眠りとの違いは、どこにあるか
この問いが効くのは、転送を否定する理屈が、そのまま眠りにも当てはまってしまうからです。
眠っているあいだ、意識は途切れています。朝起きたあなたは、昨夜のあなたの記憶を持った、連続していない誰かかもしれない。それでも私たちは眠るのをこわがりません。
転送はこわいのに眠りはこわくないなら、その差はどこから来ているのか。 答えられないなら、こわさの根拠は理屈ではなく慣れのほうにある、ということになります。
いま、この問いが出てくる場所
意識をデータとして保存するという話は、まだ実現していません。ですが、似た形はもう身近にあります。
古い端末から新しい端末へ移したデータは、同じデータなのか。故人の言葉を学習したAIが本人らしく応答するとき、それは誰なのか。コピーが本物と同じ扱いを受けるべきかどうかは、著作権でも遺産でも、実際に争われています。
転送装置は、その争いを一番むき出しの形にしたものです。