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忘れてしまった過去:思い出せない子ども時代は、あなたのものですか

10歳の記憶をもう持たない80歳は、その子と同じ人なのか。記憶が人を人にしているという考えを、突き詰めてみます。

子どものころの記憶は、思ったより残っていません。

3歳の自分が何を考えていたかを覚えている人は、まずいないでしょう。それでも、その子が自分だったことは疑いません。では、覚えていないのに自分だと言えるのは、何を根拠にしているのでしょうか。

まずは選んでみてください。

まず、選んでみる

80歳のその人は、40歳のころに何をしたかをよく覚えています。その40歳のときには、10歳のころのこともよく覚えていました。ですが80歳のいまは、10歳のころを何ひとつ思い出せません。

80歳のその人は、10歳だったその子と同じ人ですか。

正解はありません。選ぶと、その答えがどの前提に乗っているかが出ます。

この問いを作った人

18世紀スコットランドの哲学者トマス・リードが、ロックへの反論として出した例です。

ロックは、人格の同一性は記憶によって決まると考えました。ある行いを自分がしたと覚えているなら、それは自分だ、と。近代的な責任の考え方の土台になった主張です。覚えていないことでは責任を問えない、という発想はここから来ています。

リードは、将校の例でこれを崩しました。旗を奪った若い将校は、少年のころに盗みで鞭打たれたことを覚えている。年老いた将軍は、旗を奪ったことは覚えているが、少年時代のことは忘れている。

ロックの規則をそのまま当てはめると、将軍は少年と同じ人ではないことになります。 ですが将軍は将校と同じ人で、将校は少年と同じ人です。同じであることは、こんなふうに途中で切れてよいものなのでしょうか。

4つの答えは、それぞれ別の哲学に立っている

つながりで決める。直接思い出せなくても、鎖のようにつながっていればいい。ロックの説をリードの反論から救う修正案で、現代の哲学ではこの形が標準になっています。今日の自分は昨日の自分を覚えていて、昨日の自分は一昨日を覚えている。その連鎖が続いていれば、端と端が直接つながっていなくてもかまわない。生まれてから同じ体が途切れずに続いてきた、と答える道も、形はこれと同じです。ただし体の細胞の多くは入れ替わっていて、そちらではヘラクレイトスの川と同じ問題が出てきます。

記憶で決める。思い出せないなら、その子は自分ではない。ロックの規則をそのまま当てはめれば、こう答えるほかありません。リードが崩そうとしたのは、この立場です。責任を問えるのは覚えている範囲だけという近代的な考え方も、ここから出てきました。厳しい答えに見えますが、いちばん筋が通っているとも言えます。

まわりが認めるかで決める。名前も家族も戸籍も変わっていない。ヘーゲルは、自己は他者との関係のなかで成り立つと考えました。この立場からすると、認知症で自分が分からなくなっても、周りが同じ人として扱い続けるかぎり、その人はその人です。 実際の介護の現場が立っているのは、ここに近い場所です。

決めない。どこかで別人になったはずだが、その一日を指せない。砂山のパラドックスと同じ形です。境目が引けないものに境目を求めるのが間違いなのかもしれません。ヒュームは、自分の中をどれだけ探しても、変わらずに続く自己というものは見つからないと書きました。見つからないものの切れ目は、そもそも指せません。

この問いが重いのは、他人事ではないからです

部品を全部取り替えた船も、分解して組み直す転送装置も、まだ想像の話です。記憶を失うことだけは、実際に起きます。

認知症の家族に会いに行く人は、この問いを毎週考えています。もう自分のことを分からない相手を、それでも同じ人として扱うのはなぜか。その根拠を記憶に置いていないことだけは、はっきりしています。

記憶が人を人にしているという考えは、覚えていられる人にとってだけ都合がいい。 リードの反論から240年、この点はまだ解決していません。

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