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入門編 · もう一つの声 · 第42

諸子百家:墨子と法家

紀元前4世紀の中原ちゅうげん。戦火と飢饉ききんが絶えない大地を、白い粗末な衣をまとった集団が黙々と歩いていきました。攻撃される弱小国に駆けつけ、城壁を補強し、攻城兵器を作って侵略軍を退ける。彼らは思想集団であり、技術者集団であり、戦闘集団でもありました。指導者の名は墨子ぼくし。儒家・道家と並び立つもう一つの大思想潮流の祖です。

諸子百家の時代

周王朝の権威が完全に崩壊した戦国時代は、思想史的には驚くべき豊穣の季節でもありました。儒家じゅか道家どうか墨家ぼっか法家ほうか名家めいか陰陽家いんようか縦横家じゅうおうか、農家、兵家、雑家ざっか。後世に諸子百家しょしひゃっかと呼ばれるこれらの学派は、諸侯の宮廷を渡り歩き、それぞれ独自の処方箋を売り込み合いました。

思想が国家経営の現実問題と切り離せない緊張のなかで磨かれた点で、これは古代ギリシアのソフィストたちの活動と並走する現象でもあります。生き残るためにどんな統治をすべきか、人間とはそもそも何か。地中海と黄河流域の二つの文明が、ほぼ同じ時代に互いを知らないまま、似た問題を全く異なる語彙で論じていた事実に、私たちは思想史の不思議を見ます。

墨子:兼愛と非攻

墨子の思想の核心は兼愛けんあい非攻ひこうです。墨家は儒家を激しく批判しました。儒家の愛は親疎遠近しんそえんきんに応じて差をつける別愛べつあいであり、それでは戦乱は止められません。すべての人を等しく愛する兼愛こそが、世の混乱を根本から治める道だ、と。

そしてその論理的帰結として、いかなる侵略戦争も否定する非攻が説かれます。墨子の集団は理論を語るだけでなく、実際に小国を救援するために動いた点で異様な実践集団でした。功利的な計算と普遍的な博愛が結びついたその思想は、二十世紀以降の人道主義や反戦平和思想の原型としても再評価されつつあります。

韓非子と法家:法・術・勢

時代がさらに下って戦国末期、しんが天下統一の野望をむき出しにする頃に登場するのが韓非子かんぴしです。彼は荀子じゅんしの門下から出ながら師の儒教的色彩を捨て、徹底した冷徹さで国家経営の技術を理論化しました。著書韓非子は、君主のための非情な実用書です。

法家の鍵概念は法・術・勢の三つです。法は明文化され公開された厳格な規則、術は臣下を操縦する君主の隠された技術、勢は地位そのものが帯びる権力の力学。徳に頼らず、明確な賞罰と権力の構造によって国を運営せよ、と韓非子は説きました。秦の始皇帝はこの思想を採用し、ついに天下を統一します。

思想の競争が残したもの

始皇帝の焚書坑儒ふんしょこうじゅで諸子百家は表向き沈黙させられ、漢代以降は儒教が国教化されて他の学派は周縁化されていきます。しかし墨家の論理学的精密さ、法家の制度設計、名家の言語論、農家の技術論は、それぞれ姿を変えて後世に伏流していきました。一つの思想が独占した時代は、必ず別の思想を地下水として温存しているのです。

なぜ古代中国でこれほど多様な思想が同時に花開いたのか。それは生き残りをかけた諸国が、徳でも法でも兼愛でも、効くものなら何でも試そうとした切実な必要に支えられていました。次章では、東アジアの思想的風景をさらに広げ、ヒマラヤの南で生まれたもう一つの巨大な精神運動、ブッダの教えへと旅を進めます。