『星界の報告』
せいかいのほうこく
近代
望遠鏡による天体観測の最初の報告書
この著作について
ガリレオ・ガリレイが1610年3月にヴェネツィアで公刊した短い天文学書。原題ラテン語『シデレウス・ヌンキウス(星界の報告)』。自作の望遠鏡による天体観測の結果を、わずか2か月余りの短期間でまとめ上げた、科学史の決定的転換点となった著作である。
【内容】
全3部で、月面の観測、恒星・銀河の観測、木星の衛星の観測を順に報告する。月面に山や谷があるという観測結果はアリストテレス的な「完全な天上界」の観念を覆し、天の川が無数の星の集合であるという発見は古代以来の宇宙観を書き換え、「メディチ星」(木星の4衛星)の発見は、地球以外の惑星を周回する天体の最初の実例としてコペルニクス体系の有力な証拠を提供した。
【影響と意義】
出版直後からケプラー、ヨーロッパ諸大学、カトリック教会の双方に強い衝撃を与え、やがてガリレオ自身の宗教裁判の遠因ともなった。近代自然科学が経験・観測・器具を中核に置く営みになる転換点として、科学史の出発点の一つに数えられる。
【なぜ今読むか】
わずか数十ページの短い報告書が世界観を変えた実例として、科学とはどのような言葉を持ちうるのかを考える最良の素材である。
どの訳で読むか
新しい訳で、解説や文献案内までそろったものを読むなら、2017年に出た講談社学術文庫の伊藤訳が目安になる。岩波文庫の山田・谷訳は太陽黒点にかんする第二書簡をあわせて収めるが、版元のサイトで品切れと表示されている(2026年10月時点)ので、図書館や古書で探すことになる。望遠鏡の訳語は、伊藤訳が第一章の題を「覗き眼鏡[望遠鏡]」とし、岩波文庫の紹介文は「筒眼鏡」と呼んでいる。
伊藤和行訳講談社・講談社学術文庫、2017年
Amazonで探す2017年5月に出た新訳で、通巻2410。目次は献辞、天文学的報告、第一章 覗き眼鏡[望遠鏡]、第二章 月の表面、第三章 恒星、第四章 メディチ星[木星の衛星]のあとに、訳者解説と文献案内・読書案内が続く。版元の紹介文は「待望の新訳」とうたう。電子版もある。
山田慶児・谷泰訳岩波書店・岩波文庫、1976年
Amazonで探す1976年10月に出た岩波文庫(青906-5)で、174頁。書名は「星界の報告 他一篇」で、ガリレオの「太陽黒点にかんする第二書簡」をあわせて収める。版元の紹介文は望遠鏡を「筒眼鏡」と呼んでいる。版元のサイトでは品切れと表示されている(2026年10月時点)。
ほかに、1963年に河出書房新社の「世界大思想全集」社会・宗教・科学思想篇の第31巻に入った藪内清訳がある。ケプラーの新しい天文学と世界の調和の島村福太郎訳と同じ巻で、国立国会図書館の書誌による。古い全集の一冊なので、図書館などで探すことになる。英語で読むなら、E. S. Carlos の英訳が Project Gutenberg で無料で読める。
さらに深く
【内容のあらまし】
本書はトスカーナ大公コジモ2世への献辞で始まる。わが子のように木星のまわりを巡る四つの星に、ガリレオは大公家の名を冠してメディチ星と呼ぶと告げる。およそ10か月前、オランダ人が望遠鏡を作ったという噂が耳に入り、パリから届いたフランスの貴族ジャック・バドヴェールの手紙で確かめられた。ガリレオは鉛の管の両端にレンズをはめ、物が3分の1の距離に、9倍の大きさに見える器械を作る。次に60倍を超えるものを作り、ついに1000倍近くに拡大し、30倍以上近くに見せる器械にたどり着いた。同じ観察には少なくとも400倍の望遠鏡が要ると戒め、倍率は直径が20倍違う二枚の紙を壁に並べ、小さいほうを望遠鏡越しに、大きいほうを裸眼で同時に見比べて確かめよと勧める。
望遠鏡は天へ向けられる。最初は月だ。新月から4、5日目、明暗の境目はなめらかな線ではなく、ひどく波打っている。暗い側にはいくつもの光る点が浮かび、1、2時間のうちに明るい側とつながる。谷に光が届く前に周りの山々が輝く、地上の日の出と同じ眺めである。月の中ほどの丸いくぼみは、山々に囲まれたボヘミアのような土地にたとえられる。境目から離れて光る山頂までの距離がときに月の直径の20分の1を超えることから、月の山はイタリアの4マイルより高く、地上にそれほどの山はないと見積もる。欠けた月の暗い部分がほのかに光るのは地球が光を返しているからだと説き、詳しくは宇宙の体系をめぐる著作で論じると予告する。
恒星は望遠鏡でも、ほかの物と同じ割合では大きくならない。惑星は丸い小さな月のように見えるが、恒星は光の塊のままである。オリオン座の三つ星と剣の星のまわりには80の星が、プレアデスの肉眼の6つの星の近くには40を超える星が見つかる。天の川は無数の星の群れにほかならず、「オリオンの頭」と呼ばれる星雲には21の星が数えられる。
最後が木星である。1610年1月7日、夜の最初の時刻に望遠鏡を向けると、木星のそばに小さいがよく光る三つの星が一直線に並んでいた。ガリレオは恒星だと思った。翌8日、何かの巡り合わせで見直すと、三つとも西側にある。木星が計算と違う動きをしたのかと不安になり、10日には二つしか見えず、星のほうが動いているのだと気づく。11日、三つの星が木星のまわりを回っていると結論し、13日に初めて四つがそろう。日ごとの図を添えた記録は3月2日まで続く。ガリレオは、木星が四つの衛星を従えて12年で太陽を回ることを、月が地球を回ることに戸惑ってコペルニクスの体系を退ける人々の疑いを除く見事な論拠だと述べ、近いうちにさらに報告すると約して筆を置く。
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