『声字実相義』
しょうじじっそうぎ
古代
音声・文字・意味そのものが大日如来の現れと説く言語哲学書。
この著作について
9世紀前半に空海が著した、日本最初期の言語哲学書である。即身成仏《そくしんじょうぶつ》義、吽字義と並ぶ三部書のひとつで、密教思想の根本を言語と存在の関係から論じる。角川ソフィア文庫の加藤精一訳『空海「即身成仏義」「声字実相義」「吽字義」』ほか、複数の現代語訳で読むことができる。【内容】「五大に皆響あり、十界に言語を具す、六塵悉く文字なり、法身《ほっしん》は是れ実相なり」と説き、音声(声)と文字(字)と意味そのもの(実相)が、大日如来の身体・言葉・心の現れであることを論証する。地・水・火・風・空の五大は響きを持ち、見聞覚知される一切は文字としての性格を備える。世界に満ちる音と文字は単なる人為の記号ではなく、宇宙そのものの自己表現として解釈される。【影響と意義】言語を世俗的記号に閉じこめず、存在論的・宗教的次元へ開いた点で、日本思想史上きわめて独創的である。後の真言密教における言語観・象徴論の基盤となり、近代以降は西田幾多郎《にしだきたろう》、鈴木大拙《すずきだいせつ》、井筒俊彦《いづつとしひこ》らによって哲学的に再解釈され、東洋の言語哲学を代表するテクストとして国際的にも研究が進んでいる。【なぜ今読むか】記号と意味を分離して考える西洋的言語観に対し、音と文字そのものに実在性を見る視点は、現代の言語哲学・記号論にも新たな照明を与える。
どの訳で読むか
三部作の現代語訳を1冊の文庫で読み、原文と訓み下しも手元に置きたいなら、角川ソフィア文庫の加藤精一編が目安になる。般若心経秘鍵や請来目録もあわせて読みたいなら、ちくま学芸文庫の空海コレクション2がある。『声字実相義』だけを、用語や出典の解説つきで1冊で読みたいなら、春秋社の松長有慶訳注が合う。
加藤精一編KADOKAWA・角川ソフィア文庫(ビギナーズ 日本の思想)、2013年
Amazonで探す即身成仏義、吽字義とあわせた三部作を1冊に収める。目次では声字実相義が「大意」「釈名体義」の二つに分かれ、そのあとに解説がつく。巻末に3編の原文と訓み下しを置く。版元は「わかりやすい現代語訳で読む」と紹介している。文庫判208ページで、2013年9月に電子版も出た。
頼富本宏・北尾隆心・真保龍敞訳注(宮坂宥勝監修)筑摩書房・ちくま学芸文庫(空海コレクション2)、2004年
Amazonで探す即身成仏義、声字実相義、吽字義に、般若心経秘鍵と請来目録を加えた5編を収める。宮坂宥勝の監修で、国立国会図書館の書誌では頼富本宏、北尾隆心、真保龍敞の3人が訳注者に挙がる。解説は立川武蔵。文庫判496ページ。
松長有慶訳注春秋社、2020年
Amazonで探す『声字実相義』1編だけを扱う四六判184ページの本。版元は、仏教用語から出典まで丁寧に解説して読み解く本と紹介している。目次は、巻頭に著作年代などを論じる全体像の章を置き、本論を序説、題名の解釈、頌の内容、色塵、仏身と国土の順に進める。
ほかに、福田亮成の現代語訳(ノンブル、2002年)がある。解説を中心にした論考としては、竹村牧男「空海の言語哲学」(春秋社、2021年)がある。
さらに深く
【内容のあらまし】
本文はまず、叙意、釈名体義、問答の三段で論じると予告する。叙意では、如来の説法は必ず文字により、文字のありかは六塵《ろくじん》で、六塵の本は法仏の三密だと根へさかのぼる。衆生は迷いの闇にいて自分では覚れないので、如来の加持《かじ》が帰るべき所を示す。その根本は名による教えがなければ立たず、名による教えは声と字がなければ成らない。声と字が明らかになれば実相が現れ、大日如来はこの義を説いて衆生の長い眠りの耳を驚かすという。
釈名は語の成り立ちから入る。内外の風気がわずかでも起これば必ず響く。これが声である。声はむなしく発せられず、必ず物の名を表す。これが字である。名は必ず体を招く。その体が実相である。続いて「声字実相」の語を六離合釈に当てはめ、帯数釈は無いとして、残る五つを浅略の読みと深秘の読みで解く。
体義は引証と解釈の二つに分かれる。まず大日経から法身如来の一偈を引く。偈の因陀羅は、顕の読みでは帝釈天の別名で、帝釈天は声の論を作り一語に多くの意味を含ませた。世間の知恵でさえそうなら、如来はなおさらだという。偈の等正覚は身密で実相、真言は声で語密、言名は字に当たる。阿字を例に、口を開いて呼べば声、法身の名を表すから字、諸法が本来生じない義が実相だと、一字の中に三つを見る。次に四句の頌が掲げられ、声の体、真と妄の文字、内外の文字、実相の四つに分けて解かれる。
第一句では、五大が声の本体で、音響はその働きだとする。第二句は十界の言葉を数え、浅深で見れば九界の言葉は妄、仏界の文字だけが真実だとする。真語など五つの語を梵語では一語で言い、訳者がそのうち一つを取って真言と訳したという。龍猛《りゅうみょう》の五種の言説との関係を問う短い問答も入り、相・夢・妄・無始は妄に、如義は真実に収まると答える。
第三句の六塵は、色・声・香・味・触・法を挙げながら、解かれるのは色塵だけである。色塵にも四句の頌が立ち、黄・白・赤・黒・青の顕色、長短や方円の形色、取捨や行住坐臥の表色が、みな文字だとされる。五色で書いた阿字や錦も色の文字で、愚かな者には煩悩を起こす毒、智ある者には曼荼羅を建てる薬になる。内色の有情と外色の器世界は互いに依報《えほう》と正報《しょうほう》になり、法身の身土はおのずからそなわるもの、報身・応化身・等流身の身土は縁に随って現れるものとして挙げられる。大日如来が三昧に入ると国土が手のひらのように平らになり、楽器がひとりでに鳴る経の一節も引かれる。
本文は色塵の解釈を終えたと記して閉じる。頌の第四句で実相を論じる段も、予告された問答の段も説かれず、古来この書は未完成ともいわれる。
著者
関連する哲学者と話してみる
