『西銘』
せいめい
張載·中世
民は同胞、物は与なりと説く張載の道徳的銘文。
この著作について
北宋の張載が書斎の西壁に掲げた短い銘文である。もとは「訂頑(がんなるをただす)」と題されていたが、程頤の勧めにより「西銘」と改題された。岩波文庫『近思録』所収のほか、複数の儒学アンソロジーで読むことができる。【内容】「乾を父と称し、坤を母と称す」と始まり、宇宙そのものを一つの家族として捉える壮大な世界観を示す。「民は吾が同胞、物は吾が与なり」と宣言し、天地万物との一体性に基づく道徳的人生観を凝縮した形で提示する。貧困者・障害者・孤独者に対する慈愛の責務、生を受けたことへの深い感謝、死への安らぎといった倫理的態度がここから導出される。短文ながら宇宙論と倫理学が緊密に結ばれ、形而上学が直ちに生活倫理へと転化する。【影響と意義】程頤・朱熹を通じて道学倫理の中核となり、朱熹は『西銘解』を著してその思想的射程を詳説した。「民胞物与」の精神は東アジア儒学における普遍的同胞意識の源泉として、現代に至るまで参照され続けている。日本の幕末・明治期の思想家、近代の儒学復興運動においても重要な参照点となった。【なぜ今読むか】格差・分断・環境危機が深刻化する現代において、万物との一体感に基づく倫理は古びた理想ではなく、今なお切実な指針となりうる。
どの訳で読むか
西銘は、朱熹と呂祖謙が編んだ『近思録』の巻二に入っているので、その訳で読める。文庫で訓読文と現代語訳、注釈をそろえて読みたいならタチバナ教養文庫の湯浅訳の上巻、全14巻を1冊で通して見たいなら新釈漢文大系の市川訳が目安になる。
湯浅幸孫訳たちばな出版・タチバナ教養文庫、1996年
Amazonで探す文庫の上巻で、西銘を含む巻の二「為学大要篇」はこの巻に入る。版元は訓読文と現代語訳に丁寧な注釈をつけたものと紹介している。国立国会図書館の書誌によれば、1972年に朝日新聞社から出た本の改訂版にあたる。
市川安司訳明治書院・新釈漢文大系37、1975年
Amazonで探すA5判676ページの1冊本。版元は、北宋の四子の著書から要点を集めて14部門622条にまとめた書と紹介し、目次には巻一「道体」から巻十四「総論聖賢」までが並ぶ。西銘を収める巻二は、この版では「論学」と題される。
福田晃市訳解明窓出版、2009年
Amazonで探す書名は「近思録 : 基礎からよく分かる : 朱子学の入門書」で、国立国会図書館の書誌には改訂版とある。版元は本書を「近思録」の完訳と紹介しており、目次には道体、為学大要などの部門が並ぶ。
ほかに、西晋一郎・小糸夏次郎訳註「太極図説・通書 西銘・正蒙」(岩波文庫、1938年)、秋月胤継訳註「近思録」(岩波文庫、1940年)、山崎道夫「近思録」(明徳出版社・中国古典新書、1967年)がある。
さらに深く
【内容のあらまし】
本文は句読点を除けば253字しかない。張載の学堂の二つの窓には、右に「訂頑」、左に「砭愚《へんぐ》」が書かれていた。程頤《ていい》が争いのもとになると言って、訂頑を西銘、砭愚を東銘と改めた。朱熹らが編んだ『近思録』では学問を論じる巻二に収められ、張載自身の著作でも最終篇「乾称篇」の冒頭に置かれる。
書き出しの一句は天地でなく乾坤《けんこん》と言う。朱熹の注は、天地は形を、乾坤は性情を指すからだと説く。続いて張載は、ちっぽけな自分が天地の中ほどに溶け込んでいるとする。天地に満ちるものがわが体となり、天地を率いるものがわが性となる。そこで「民は吾が同胞、物は吾が与なり」と言う。朱熹は、人は形気の正しさを得て最も貴いから同胞、物は偏りを得るから与と分けて読む。
次に、この家の中に社会が描き込まれる。君主は父母の家を継ぐ長子、大臣はその家の執事である。世の年長者を敬い、身寄りのない幼い者をいつくしむのは、わが家の年長者と幼子に対するのと同じだ。聖人は父母と徳をひとつにした兄弟、賢者は兄弟のなかで抜きん出た者だと、朱熹は読む。年老いて衰えた者、病や障害のある者、身寄りのない者、やもめも、訴える先のないわが兄弟だという。
後半は、天に仕えることを親に仕える孝として語り直す。朱熹は、万物と一体だという話は壮大だが、天に仕える工夫が切実になるのはここからだと評し、天を畏れてわが身を保つのは親を敬うことの極み、天を楽しんで憂えないのは親を愛することの純粋さにあたると読む。ついで古代の六人が引かれる。うまい酒を遠ざけて親の養いを顧みた禹、その孝を主君にまで及ぼした潁考叔《えいこうしゅく》、労を惜しまず父を喜ばせた舜、逃げずに死を待った申生《しんせい》、親から受けた体を損なわずに返した曽参《そうしん》、霜を踏んで野にあっても父の命に従った伯奇《はくき》である。
結びでは、富や恵みはわが生を厚くするもの、貧しさや憂いはわが身を玉のように磨き上げるものと受け止め、最後の一句「存吾順事、没吾寧也」で終わる。生きているあいだは従って仕え、死ねば安らぐ。朱熹は、この句で銘を終えたところに、朝に道を聞けば夕べに死んでもよいという境地を見る。
巻二には、読んだ人々の言葉も載る。程顥《ていこう》は、秦漢以来の学者が届かなかったものと称えた。楊時《ようじ》は、西銘は本体を語って働きに及ばず、兼愛に流れはしないかと問うた。程頤は、行き過ぎがあるのは張載の別の著作であって西銘ではないと断り、西銘は理が一つで分が異なることを明らかにしたもので、区別なく愛する墨子とは比べられないと答えた。
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