『隷属への道』
れいぞくへの みち
ハイエク·現代
計画経済が自由の喪失に至ると警告した自由主義の古典
この著作について
オーストリア出身の経済学者フリードリヒ・ハイエクが第二次世界大戦末期の1944年に公刊した、20世紀自由主義思想の古典。
【内容】
タイトル通り、善意に基づく政府の計画経済も、最終的には個人の自由を破壊して全体主義に至る『隷属への道』であると警告する。戦時下のイギリスで左派が社会主義的な計画経済を称揚していた時代に、ハイエクは「ナチズムは資本主義の暴走ではなく、むしろ社会主義の変種だ」という挑発的な主張を展開した。知識は社会に分散して存在するため、中央が全体を最適に計画することは原理的に不可能であり、市場や法の自然発生的な進化に任せる「自生的秩序」こそが自由と繁栄を支えるとされる。
【影響と意義】
サッチャー首相が「私の信条はこれだ」と述べ、新自由主義の理論的支柱となった。ポパー『開かれた社会とその敵』と並んで、冷戦期の自由主義思想の基盤となり、社会主義圏の崩壊後にその先見性《けんしょう》が再評価された。
【なぜ今読むか】
「善意の政策がなぜ悪い結果をもたらすのか」という逆説的な議論は、政策や制度設計を評価するときの重要な視座を提供してくれる。
さらに深く
【内容のあらまし】
ハイエクは亡命先のロンドンで、ナチズムを経験した者の警告として本書を書いたと序章で述べる。彼が同時代のイギリス左派に告げたいのは、ナチズムを単に資本主義の暴走として片付けるのは誤りであり、そこには社会主義と共有する深層の論理が走っているという診断である。
第一段階で、19世紀の自由主義の遺産が振り返られる。法の前の平等、所有権の保護、契約の自由、限定された政府は、繁栄と寛容の文明を生み出してきた。しかし二十世紀に入り、戦争と経済危機を背景に、この遺産が古臭いものと見なされ、計画と統制への信仰が育っていった。彼はこの転換を、急ぎすぎた進歩主義として批判する。
第二段階で、計画経済の論理的な行き詰まりが分析される。経済を中央が計画するためには、無数の財や労働の優先順位を一つの体系で序列化しなければならない。だが多元的な社会では、人々の価値観は深く異なり、誰もが納得できる序列など存在しない。計画者は不可避的に独断で順位を決めることになり、議会と選挙はこの作業の重荷を引き受けきれなくなる。やがて立法の権限は専門家集団へ、そして強い指導者へと吸い上げられていく。
第三段階で「最悪の者が頂点に立つ」という章が来る。複雑で不人気な決定を貫くためには、伝統的な道徳に縛られない人物、目的のためなら手段を選ばない人物が指導者として求められる。同時に、敵を作り出す宣伝が必要になる。階級の敵か外部の民族かは異なっても、計画の挫折を誰かのせいにして共同体を結束させる構造そのものは共通している。こうしてハイエクは、ナチズムが社会主義の右翼的変種だという挑発的な主張を組み立てる。
中盤で、知識の分散がもたらす論証が示される。社会には膨大な知識が時間と場所に縛られて散らばっている。市場価格はこの知識を要約し伝達する仕組みであり、誰一人としてこの全体を頭の中に再現することはできない。中央計画は原理的にこの知識処理に対応できず、強行すれば資源配分の歪みと自由の喪失を同時に招く。
第四段階で、安全と自由のトレードオフが論じられる。完全な経済的安全を約束する社会は、引き換えに、人々の選択肢を狭めなければならない。
結部でハイエクは、戦後の世界が古い自由主義を学び直し、市場と法の支配と立憲的限界政府を再構築する道を選ぶよう呼びかけて、本書を閉じる。
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