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人

『人間機械論』

にんげん きかいろん

ラ・メトリ·近代

ラ・メトリの唯物論

哲学

この著作について

フランスの医師で哲学者ジュリアン・オフレ・ド・ラ・メトリが亡命先のライデンで匿名刊行した徹底した唯物論のパンフレット。

【内容】

デカルトが「動物は機械だが人間には不死の魂がある」と留保したのに対し、ラ・メトリは医者としての観察と実験に基づき、「人間もまた一個の精巧な機械である」と踏み込む。熱病で精神が混乱する患者、アヘンの作用で変化する感情、脳損傷による人格変化などの臨床例を次々に挙げ、魂や精神と呼ばれるものは身体の状態から独立して存在しえないと論じる。人間の理性、情念、道徳性もすべて物質的な組織の働きから説明され、「動物と人間を分ける本質的な溝はない」という結論に至る。文体は論述というより、医学と哲学を縦横に駆ける大胆なエッセーに近い。

【影響と意義】

刊行直後からフランスとオランダの双方で発禁・焼却処分を受け、著者はプロイセン王フリードリヒ二世のもとに庇護を求めた。ディドロ、ドルバックに代表されるフランス啓蒙唯物論の先駆となり、十九〜二十世紀の神経科学的人間観、現代の物理主義的心身問題の議論の遠い源流とみなされている。

【なぜ今読むか】

脳科学とAIが「心は物質から生じる現象か」を改めて問い直すいま、三百年近く前に徹底して「人間は機械だ」と言い切ったこの挑発的小著は、現代の議論の起点を確かめるうえで刺激的な読み物になる。

さらに深く

【内容のあらまし】

1748年にライデンのエリー・リュザックの印刷所から出た版の扉には、精神も感覚とともに生まれ、育ち、衰え、同じように滅びるだろうと詠う、ヴォルテールの名を添えた詩句が掲げられている。印刷人の断り書きとハラー宛の献辞のあと、本論は、賢者は考える意志と力をもつ少数のために真理をあえて語らねばならず、偏見の奴隷となった人々が真理に届かないのは蛙が飛べないのと同じだ、という一文から始まる。

ラ・メトリは魂をめぐる学説を唯物論と唯心論の二つにまとめ、物質を霊化したライプニッツ派と、二つの実体を見て数えたかのように立てたデカルト派を退ける。人間はあまりに複雑な機械なので先験的には定義できず、本性を確実には知れないにせよ、経験の杖を手に取って最高度の蓋然性に至るしかないという。

続いて例が積み重なる。鼻などがガラスだと思い込む男は、藁の上に寝かせて藁に火をつけ、焼かれる恐れで正気に戻せばよい。「人間の身体は自らのぜんまいを巻く機械である」という一句のあとには、空腹のときは公正で寛大な判事だったのに、たっぷり食べたあとは無実の者まで絞首台に送りかねなかったスイスの代官が出てくる。さらに、ろう者に話すことを教えたアンマンの方法で類人猿にも言葉を教えられるはずだと論じ、魂の能力はすべて想像力に帰着し、判断も推論も記憶も、目に映った像が幻灯のように投げ返される脳髄の幕の変様にすぎないと言う。人間だけが自然法をもつという説には、主人に噛みついたあとうなだれる犬を挙げて、動物にも後悔の徴があると答える。至高の存在は疑わず、むしろ最も蓋然的としつつ、実践にはほとんど価値のない理論的真理だと言う。

番号を振った観察として、取り出されて1時間以上動くカエルの心臓や、酔った兵士に首をはねられたあとも立ち、歩き、走ってから倒れた七面鳥などを並べ、身体のどの繊維もそれ自身の運動原理をもつと結論する。人間は類人猿や最も賢い動物に対し、ホイヘンスの惑星時計がジュリアン・ル・ロワの時計に対するようなものだとされ、笛吹き人形を作ったヴォーカンソンにとって話す人間はさらに難しいが、別のプロメテウスの手にかかれば、もはや不可能とはみなせないという。デカルトについては、動物が純粋な機械であることを初めて完全に示した功績を思えば誤りはすべて許されるとし、二つの実体の区別は神学者に毒を呑ませるための文体上の策略だったとまで言う。

結びでは、人間は機械であり、宇宙にはさまざまに変様した唯一の実体しかないと結論する。これが自分の体系、いや思い違いでなければ真理であり、短く単純だ、異論のある者は今こそ論じてみよと言い放つ。

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