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懲

『懲罰詩集』

ちょうばつししゅう

近代

ナポレオン3世を糾弾する亡命中の政治諷刺詩集

哲学文学政治

この著作について

【内容】ユーゴーが1853年にブリュッセルで発表した政治諷刺詩集である。原題は Les Châtiments。1851年12月のナポレオン3世によるクーデタを糾弾し、亡命を余儀なくされた詩人が、専制と裏切りに対する怒りを激しく結晶させた作品集となっている。邦訳は岩波文庫に辻昶訳で収められている。

【影響と意義】痛烈な皮肉と荘厳な抒情、古代神話と同時代政治を縦横に往還する詩法が特徴で、19世紀フランス政治詩の最高峰の一つに数えられる。亡命19年間の出発点となった本書は、ユーゴー自身の作家像を「共和制の良心」として確立する転機となった。後の『レ・ミゼラブル』『海の労働者』に通じる民衆と権力をめぐる主題が、詩の形式で先取りされている。

【なぜ今読むか】政治的暴力に抗する文学のあり方を考える際、本書は今なお手本となる。詩が時代の不正を記録し、声なき者の声を代弁しうることを、これほど力強く示した作例は多くない。ユーゴーの公的良心と詩的天才が同時に立ち上がる瞬間を読み取れる。

さらに深く

【内容のあらまし】

1852年9月、ユーゴーは出版人エッツェルへの手紙に、いま純粋な詩集を出せば武装解除に見える、自分はかつてなく戦う構えだと書いた。本書は、ジャージー島で1853年に記した短い序文で始まる。ブリュッセルで先に出た削られた版に付けた、偽りの誓いも待ち伏せも犯罪だとする宣言を引き、約束どおり完全な本を出すと告げる。

本文は序詩「ノクス(夜)」で幕を開ける。九つの節のうち第1節は、クーデタの夜に語り手が「殿下」と呼びかけ、皮肉にけしかける。兵士たちに、将軍を縄で縛れ、議会を監獄へ押しやれ、この老人を撃て、この子を殺せと号令が続く。やがて詩は、首だけ地上に出して葬られた死者たちや、ノートル=ダムで秩序を救ったと誇る男を描き、裏切り者を捕らえても与えるべきは死ではなく恥だと説く。最後に憤りのミューズを呼んで、叙事詩になるほどの晒《さら》し台をこの帝国に立てようと誓う。

第1巻から第6巻の題は「社会は救われた」「秩序は回復された」「家族は再建された」と続き、第7巻だけが「救い主たちは逃げ出すだろう」となる。第2巻の「12月4日の夜の思い出」では、頭に2発の弾を受けた少年の亡骸を、祖母が膝に抱いて火で温めようとする。ポケットには柘植《つげ》の独楽《こま》が入っていた。8歳にもならず、共和国万歳とも叫ばなかったのに、なぜ殺されたのかと祖母は問う。詩人は、ナポレオン氏は宮殿と馬と賭けの金が好きで、ついでに家族と教会と社会を救うのだと苦く答え、だから祖母たちが7歳の子を屍衣に縫い込むのだと結ぶ。

第5巻の「贖罪《しょくざい》」は、燃えるモスクワをあとにした退却で始まる。「Il neigeait.(雪が降っていた)」が繰り返されるなか、ナポレオン1世はこれが罰かと神に問い、声は否と答える。ワーテルローでも否。セントヘレナの臨終に罰は受けたと叫ぶと、声はまだだと言う。のちに墓の彼を声が起こし、これまでは物の数ではない、ここからが罰だと告げる。甥を名のる一味が騒ぎ、剥製の鷲は戦場から縁日の見世物へ落ちる。声の主はおまえの罪だと名のり、最後の一行で彼は「ブリュメール18日」の文字を読む。

第7巻の終わりの「最後の言葉」で、詩人は、あの男がいるかぎりフランスの土を踏まず、追放に終わりがなくても受け入れると誓う。千人、百人、十人と数を減らし、「Et s'il n'en reste qu'un, je serai celui-là !(ただ一人しか残らないなら、私がその一人だ)」で結ぶ。続く「光」は、諸国民が深淵を抜け、平和の翼が開く未来を歌う。のちの版には、1870年8月31日、帰国を前に書いた詩も加わった。

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