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二

『二入四行論』

ににゅうしぎょうろん

(伝)達磨·古代

達磨に帰される最も古い禅宗の根本テキスト

哲学アジア

この著作について

中国禅宗の祖・達磨に帰される最古層の禅文献で、『菩提達磨大師略弁大乗入道四行論』とも称される。20世紀初頭にスタイン本・敦煌出土文献から発見され、達磨思想の信頼度の高い資料として注目された。日本では柳田聖山《やなぎだせいざん》編訳『達磨の語録』(筑摩書房、世界古典文学全集)として読むのが標準である。

【内容】

二つの「入道」の道を提示する。第一の「理入」は経典に支えられつつ文字を離れ、自己の本性と仏性が同一であることを直接的に把握する道。第二の「行入」は具体的な実践として四つの行為を示す。報怨行(怨みに耐えてこれを過去の業の結果と受けとめる)、随縁行(運命の変動に動じず受け入れる)、無所求行(求めることを止める)、称法行(法に随って生きる)。これらの「四行」が後の禅的生活倫理の原型となった。

【影響と意義】

禅宗の根本理念「不立文字《ふりゅうもんじ》・教外別伝《きょうげべつでん》・直指人心《じきしにんしん》・見性《けんしょう》成仏《じょうぶつ》」の出発点を示す文書として、東アジア禅の系譜全体を支える。慧可・僧璨・道信・弘忍を経て六祖慧能に伝わった法統が、本書の理念を受け継いで展開した。20世紀には鈴木大拙《すずきだいせつ》・柳田聖山らの研究によって禅思想史の中核資料として再評価された。

【なぜ今読むか】

短い文献ながら禅の出発点が凝縮されており、後世の膨大な禅文学を理解する基礎となる。「怨みを過去の業として受けとめる」「求めることを止める」といった四行の倫理は、現代のレジリエンス論やマインドフルネスの実践とも響き合う。

どの訳で読むか

柳田聖山の訳注で読むなら、筑摩書房の「達摩の語録」になる。ちくま学芸文庫版は出版社品切れで、叢書「禅の語録」の第1巻は版元ドットコムで在庫僅少と表示されている。別の注釈書としては四季社の「禅語録傍訳全書」の1冊があり、柳田の訳だけを全集の1冊で読む形もある。

  • 柳田聖山(訳注)筑摩書房・ちくま学芸文庫「達摩の語録 二入四行論」、1996年

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    文庫判で、国立国会図書館の書誌ではページ数が336頁と15頁。筑摩書房のサイトは、二入四行論の全巻と注釈の決定版と紹介しており、同じサイトで出版社品切れと表示されている(2026年10月時点)。

  • 柳田聖山筑摩書房・「禅の語録」第1巻「達摩の語録」、1969年

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    A5判268ページ。「禅の語録」は1969年にこの巻から刊行が始まり、2016年に全20巻で復刊・完結した叢書で、版元は漢文の本文を全文収め、訳読と注釈・解説がつくと紹介している。版元ドットコムでは定価6,500円+税で、出版社在庫は在庫僅少と表示されている(2026年10月時点)。

  • 沖本克己編著(西村惠信・田中良昭監修)四季社・禅語録傍訳全書 第3期第1巻「二入四行論」、2006年

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    国立国会図書館の書誌では、参考文献が359ページにつく。紀伊國屋書店のサイトの表示はA5判361ページ、2006年6月発売で、ウェブストアは注文を受け付けていない(2026年10月時点)。

  • 柳田聖山訳(全集の1冊)筑摩書房・世界古典文学全集36A「禅家語録 I」、1972年

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    西谷啓治・柳田聖山編、519ページ。国立国会図書館の書誌によれば、「達摩二入四行論」のほか「六祖壇経」(柳田聖山訳)、「頓悟要門」(平野宗浄訳)、「黄檗伝心法要」(入矢義高訳)、「臨済録」「趙州録」(秋月竜珉訳)を収め、各編に解題がつく。

さらに深く

【内容のあらまし】

冒頭には弟子の曇林《どんりん》による序が置かれる。法師は南天竺の大婆羅門国王の第三子で、漢魏の地に来たが、心を空しくした人々は帰依し、見解にとらわれる人々は誹った。道育と慧可《えか》だけが数年仕え、師はその熱意に感じて、心を安んじるのは壁観《へきかん》、行を起こすのは四行、人々に順うのは誹りを防ぐこと、方便は執着を払うこと、と教えたという。

本論は、道に入る道は多いがまとめれば二つに尽きると切り出す。理入は、教えに藉《よ》って宗を悟り、生きとし生けるものは凡夫も聖者も同じ真性をもつが、外から来た塵に覆われて現れないだけだと信じることをいう。妄を捨てて真に帰り、壁観にとどまって動かなければ自他も凡聖も等しくなり、もう文字の教えには従わない。行入はほかの行をすべておさめる四つの行である。報怨行《ほうおんぎょう》は、苦しみに遭ったら、今は過ちを犯していなくとも、無数の劫《こう》のあいだ根本を棄てて枝葉を追ってきた昔の悪業が熟したのであり、天や人が与えたのではないと自ら念じて甘んじて受けよと説く。随縁行は栄誉も過去の因が招いたもので縁が尽きれば消えると見て、喜びの風にも動かない。無所求行は三界を燃える家にたとえ、「有求皆苦、無求乃楽(求める所があればみな苦しく、求めなければ楽である)」という経の句を引く。称法行は、法の本性は清浄だと見定め、身も命も財も惜しまず施し、六つの修行を行いながら行ずる所はないとする。唐の浄覚《じょうかく》の書は、四行を達磨自身の説とする。

敦煌から出た長い写本では、二通の手紙と問答の記録が続く。一通目の書き手は、天上も地獄もよその国だと思っていたが、やがて心の宝珠が輝き、上は仏から下は虫まで心に任せてはからう想念の別名だと知ったと語る。二通目は、影は形から、響きは声から起こるのに、煩悩を除いて涅槃を求めるのは形を捨てて影を探すようなものだと説く。唐の道宣が編んだ僧の伝記集は、これを向居士《こうこじ》が慧可に送った手紙として載せる。

問答では、凡夫、声聞、独覚、菩薩の心を順に尋ねる問いには答えが返るが、覚らず知らない心とは何かという問いにだけ答えがなく、法は無心だから答えれば心が生じるという。道の本体である心は木石のようだといい、自分の手で描いた竜や虎におびえる人にたとえる。魔の心とは目を閉じて三昧に入ることだとも答える。心を安らかにしてほしいと頼む者には、仕立て屋も絹を受け取ってはじめて刃を入れられる、心を持ってこられないなら何を安んじればよいのか、と答える。『景徳伝灯録』が達磨と慧可の問答として伝える安心の場面に似ている。

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