『西洋の没落』
せいようのぼつらく
オスヴァルト・シュペングラー·近代
西洋文明を有機体の比喩で捉え衰退を予言したシュペングラーの大著
この著作について
ドイツの歴史哲学者オスヴァルト・シュペングラーが1918年(第1巻)・1922年(第2巻)に公刊した大著(原題『Der Untergang des Abendlandes』)。第一次世界大戦直後のドイツで大ベストセラーとなり、20世紀初頭の思想的ベストセラーの代表作である。
【内容】
文明を有機体と同じく誕生・成長・老衰・死の運命を持つものとして捉え、世界史を8つの主要文化(エジプト・バビロニア・インド・中国・古代ギリシア=ローマ・マヤ・アラビア・西洋)の並行的生成と衰退として描く。西洋文化は18〜19世紀が「文化」の頂点(ゲーテ・ベートーヴェン・カント)で、20世紀以降は「文明」の段階、すなわち硬化・形式化・没落の始まりだとされる。各文化には独自の「魂」があり、相互に翻訳不可能だと強調する文化相対主義が基調。
【影響と意義】
トインビーの比較文明論、ナチス以前のドイツ文化悲観論、戦後のハンチントン『文明の衝突』の遠い系譜に連なる。厳密な歴史学からは批判される一方、文明論の大衆的想像力を形成した。
【なぜ今読むか】
「西洋文明の衰退」が21世紀にも議論される今、古典的予言の原点として。
さらに深く
【内容のあらまし】
改訂版の序文は、ほとんどすべてを負う相手としてゲーテとニーチェを挙げ、ゲーテから方法を、ニーチェから問いの立て方を得たと記す。初版の序文は、最初の草稿が大戦の勃発までに書き上がり、1917年春まで書き直したと述べる。書名は、古典古代の没落を念頭に、数世紀にわたる世界史の一局面を厳密な意味で指し、私たちはその始まりに立っているという。
序論の第一文は、いま地上で唯一完成の途上にある西欧とアメリカの文化について、まだ経過していない段階を追い、歴史をあらかじめ見定める企てを初めて試みると宣言する。インドの人間はすべてを忘れたが、エジプトの人間は何も忘れられなかったと対比する。古代・中世・近代という図式は、西洋人を中心に諸文化を回らせる天動説のようなものだと退け、自説を歴史におけるコペルニクス的発見と位置づける。文明は文化の避けがたい運命だと定め、帝国主義は純粋な文明だとして、セシル・ローズを新しい時代の最初の人と呼ぶ。新しい世代には、抒情詩より技術、絵画より海軍、認識批判より政治を望む。
第1巻「形態と現実」は、数の意味から語り起こす。数そのものはなく、文化の数だけ数の世界があるとし、古典古代の数を大きさ、西洋の数を関数と見る。第2章は文化を有機体とみなし、世界史はその総伝記だという。どの文化も幼年、青年、壮年、老年を通り、完成すると硬化して文明になる。第3章は、各文化の世界像が根本の象徴から生まれるとし、古典古代には身体、アラビア文化には洞窟、西洋には無限の空間をあてる。古典古代の魂を、ニーチェ以来通じる名でアポロン的と呼び、西洋の魂をファウスト的と呼ぶ。裸体の彫像はアポロン的で、フーガの技法はファウスト的だという。
第2巻「世界史的展望」は、夕暮れに花が一輪ずつ閉じていく場面から始まる。世界史は都市の歴史だと言い、田園から離れ、ついには田園の価値を失わせる都市が、高度な歴史の歩みを決めるという。岩の中の結晶が洗い流された空洞に、噴火で流れ込んだ溶岩が本来の形をとれずに固まる、という鉱物の話も借りる。古い異質な文化に覆われて若い文化が息をつけない場合を、歴史的な偽形態と呼び、その例にアラビア文化を挙げる。終わり近くでは、貨幣は血によってのみ克服されると述べ、カエサル主義の到来が貨幣の支配を破ると見る。歴史の必然が課した務めは個人とともに、あるいは個人に逆らってでも果たされるとし、ラテン語の格言「Ducunt fata volentem, nolentem trahunt(運命は望む者を導き、望まぬ者を引きずってゆく)」で巻を閉じる。