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静

『静観詩集』

せいかんししゅう

ユーゴー·近代

亡命生活を背景にした悲嘆と静観のユーゴー代表詩集

文学

この著作について

ヴィクトル・ユーゴーが亡命中の1856年に発表した詩集。フランス・ロマン主義詩の最高峰とも呼ばれ、個人の悲嘆と宇宙的瞑想を結合させた。

【内容】

全2部構成で、前半「かつて(1830-1843)」は青年期から娘レオポルディーヌの死までの幸福と苦悩、後半「今や(1843-1855)」は娘の死を契機とする深い哀悼と、亡命地での孤独、神と自然への瞑想が展開される。名詩「ヴィルキエで」は水死した娘への呼びかけとして文学史に刻まれている。自然・愛・死・記憶・超越が一貫した主題として織り上げられ、個人的悲嘆が宇宙的視座へと昇華されていく構成が特徴。

【影響と意義】

『レ・ミゼラブル』と並ぶユーゴーの代表作で、バルザックが亡くなりボードレールが『悪の華』を発表する前後のフランス文学史において、ロマン主義詩の総決算的位置を占める。後の象徴主義詩人たちにも深く響いた。

【なぜ今読むか】

愛する者を失う痛み、時間の流れへの哀惜、それでも生きる意味を探ろうとする祈り—ユーゴーが言葉にした普遍的感情は、時代を超えて読み手に届く。

さらに深く

【内容のあらまし】

1856年3月、ガーンジー島で日付を記した序文は、読者の心構えを左右する権利が著者にあるなら言うのはこれだけだとして、この本は死者の本のように読まれるべきだと述べる。25年の歳月を収めた詩集を、その語に気取りがなければ「魂の回想録」と呼べるものだと言い、微笑で始まり、すすり泣きで続き、深淵のラッパの響きで終わるとする。最後に、二つの部について「Un abîme les sépare, le tombeau.(両者を隔てる深い淵、それは墓だ)」と記す。

巻頭の詩では、岸辺で帆船を見ている詩人に、口の見えない声が、海も風も星も主であり、船は人間だと語りかける。第1巻「あけぼの」は「娘に」で始まり、何も憎まず、すべてを愛するか、すべてを哀れめと子に説く。「告発状への答え」では、良き趣味と昔ながらのフランス詩を踏みにじったと責められた詩人が、古い辞書に赤い帽子をかぶせたと開き直る。第3巻「闘いと夢」の「メランコリア」は、一人も笑わない子どもたちはどこへ行くのかと問い、石臼の下で15時間働き、暗い機械の歯の下にうずくまる姿を描く。

第4巻「パウカ・メアエ」は、ラテン語で「わが娘にわずかばかりを」と解される喪の巻だ。第2篇は、嫁ぐ娘を送り出す1843年2月15日の祝福の詩のあとに「1843年9月4日」の日付が置かれ、その下には点線しかない。セーヌで夫とともに溺れた娘レオポルディーヌの死を、詩人はスペイン旅行の帰り、ロシュフォールで新聞を読んで知った。「あした、夜明けに」は4年後の命日の前日の日付をもち、墓に緑のヒイラギと花咲くヒースの花束を置きに行くと告げる。翌日の日付をもつ「ヴィルキエで」で、詩人は、神が砕いたこの心のかけらを携えて神のもとへ来たと告げながら、心は従っているがあきらめてはいないと言う。

亡命の地で生きる理由を探し直す第5巻「歩みつつ」に続き、第6巻「無限のほとりで」には亡霊や天使が現れる。巻末の長詩「影の口が語ること」では、ロゼルを見下ろすドルメンのそばで、亡霊が詩人の髪をつかんで岩の上へ運び、万物には意識があると語り出す。語りは、イエスが泣くベリアルの手を引いて神のもとへ導き、悪が尽きて、天使が「始まり!」と叫ぶ未来の幻で終わる。

結びは、1855年11月2日、死者の日の日付をもつ8節の「フランスに残った人に」だ。詩人は娘に、凍った布をのけて身を起こし、この本を受け取れと呼びかける。教会も森も牧場も海も星も風も鳥もこの本を欲しがるが、詩人はどれにも渡さず、墓に与える。最後は、悲しみ傷つきながらも穏やかな観想者が、山の上から煙の立ちこめる巨大な深淵を見つめる姿で閉じる。

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