フィロソフィーマップ
ア

『アルシフロン』

ジョージ・バークリ·近代

自由思想家に対峙したバークリの護教対話篇

哲学宗教

この著作について

原題 Alciphron, or the Minute Philosopher。ジョージ・バークリが1732年に刊行した7篇の対話篇で、ロードアイランド滞在中に執筆された護教的著作である。

【内容】

登場人物アルシフロンとリュシクレースが代弁する自由思想家・無神論者・理神論者に対し、ユーフラノルとクライトーンがキリスト教の合理性を弁護する。神の存在証明、道徳の根拠、信仰の有用性、奇跡の真理性などが順に取り上げられ、シャフツベリの徳論やマンドヴィルの蜂の寓話への直接的な反駁も含む。第7対話では言語論が展開され、語の意味は観念だけでなく行動への効力にあるとする独自の記号論が示される。これは後の言語哲学にも示唆を与えた。

【影響と意義】

バークリの観念論を実践哲学・宗教哲学の領域に拡張した著作として、英語圏で広く読まれた。18世紀の理神論論争において重要な一翼を担い、ヒュームやハチスンら同時代人の議論にも影響を与えた。記号論的言語観は20世紀の研究で再評価されている。

【なぜ今読むか】

非物質論の形而上学者として知られるバークリの、もう一つの顔である護教論者・社会批評家としての姿に出会える。信仰と懐疑の対話は現代の宗教論争を先取りしている。

さらに深く

【内容のあらまし】

語り手のディオンがテアゲスに宛てた報告の形をとる。彼は哲学者と農夫を兼ねるユーフラノルの家に身を寄せ、紳士クライトーンの誘いで、その客である自由思想家のアルシフロンとリュシクレースのもとへ一週間泊まりに行く。

第1対話でユーフラノルは、自由思想家という名は自分で考える者すべてを含み広すぎるとして、キケロに倣った「微小哲学者」を提案する。第2対話でリュシクレースは、泥酔は麦芽税を増やして国の役に立つと悪徳の効用を説く。ユーフラノルは、節制家のほうが長生きして一生では多くの金を飲み食いに回しうると返す。第3対話でアルシフロンは、宗教の害のない徳の源として名誉を挙げ、定義を求められると感じるものだと退け、目が色を感じるように道徳の美を感じとる道徳感覚を語る。ユーフラノルは、美は目的に照らした釣り合いだから、摂理のない世界に道徳の美はないと返す。

第4対話でアルシフロンは、形而上学的な論証も権威も効用による証明も受けつけないと断り、夜明け前の林での畏れは偏見のせいだと言う。英国王を信じるのは目で見たからだというような事実の証明を、神にも求める。ユーフラノルは、魂は動きというしるしから推し量るものだと認めさせ、自然の運動から神を推し量るのも少なくとも同じ確かさだと迫る。目の前のアルシフロンも厳密には見えず、見えるのはしるしだけだという。窮した相手は、他人の存在を確かにするのは話しかけられることだと言い直し、内なる声は認めず、神が感覚的なしるしで語ると示せと求める。ユーフラノルは遠くの丘の城を指し、距離は目に直接見えず、小ささや薄さというしるしから経験で知るだけだと示して、光と影と色の組み合わせは神が人の目に語りかける言語だと答える。

第5対話は、落馬した郷士が館へ担ぎ込まれる騒ぎで始まり、議論は翌朝にキリスト教の効用へ進む。第6対話でアルシフロンは、啓示はどの宗教も主張し伝承は遠ざかるほど頼りないと言い、疑わしい書と偽書、聖書の文体を突く。

第7対話でアルシフロンは、語は観念を表すもので、観念なしには知識も信仰もなく、恩寵には観念がないと迫る。ユーフラノルは、金の代わりの数取り札が使うたびに金額を思い浮かばせはしないように、語の働きも観念を呼び起こすことに尽きないと返す。物体や運動から切り離した力そのものの観念を作ってみよと求められたアルシフロンは、目を閉じて考えても何も浮かばないと認める。観念がなくても力には有用な定理が成り立つ、恩寵も同じだというのがユーフラノルの論だ。終わり近く、彼は七年の沈黙と瞑想を経た者に思考の免許と記章を与える学院を提案し、来客で会話は終わる。

著者

関連する哲学者と話してみる

Amazonで見る