フィロソフィーマップ

一生ものの友を持つ哲学:アリストテレスとモンテーニュの友愛論

アリストテレス『ニコマコス倫理学』の三種類の友愛(ピリア)と、モンテーニュ『エセー』が描いたラ・ボエシとの友情。古代と近代の二人の言葉から、長く続く友の条件を読み解きます。

30代を過ぎると、新しい友達ができにくくなります。学生時代の友人とはLINEが減り、職場の同僚は仕事が変われば疎遠になる。結婚や引っ越しでさらに距離は伸びる。気づくと、何かあったとき本当に話せる相手が、片手で数えられないほど少なくなっています。

友情はなぜこれほど維持が難しいのでしょうか。哲学は古代から、この問いに正面から向き合ってきました。アリストテレスニコマコス倫理学第8巻と第9巻の二巻分を、丸ごと友愛(ピリア)に費やしました。16世紀のモンテーニュエセー第1巻28章「友情について」で、生涯でただ一人の友との関係を語りました。古代の体系と、近代の体験。この二人を重ねて読むと、友情の輪郭が立ち上がってきます。

目次
  1. 大人になると、なぜ友達ができないのか
  2. アリストテレスの三種類の友愛
  3. もう一人の自己:友愛が要求するもの
  4. モンテーニュとラ・ボエシ:稀有な友情の証言
  5. 友を持つことは、自分を持つこと

大人になると、なぜ友達ができないのか

子どもの頃、友達は環境から自動的に生まれていました。同じクラス、同じ部活、同じ通学路。日々長い時間を共有する中で、友情は意識せずとも育っていきます。大人になると、この自動生成装置が消えます。職場の関係には、利害が絡む。趣味のコミュニティは、流動的。マッチングアプリで友達を作る時代になっても、なかなか深まりません。

アリストテレスはこの問題の本質を、すでに2300年前に見抜いていました。彼によれば、友愛には種類があり、それぞれ別の作り方と寿命を持つ。私たちが「友達がいない」と嘆くとき、実は種類の取り違えが起きていることが多いのです。

アリストテレスの三種類の友愛

『ニコマコス倫理学』第8巻3章で、アリストテレスは友愛を三種類に分けます。

第一に、有用の友愛。互いに役立つから付き合う関係です。仕事の人脈、情報交換ができる相手、共通のプロジェクトで動く同僚。利益が一致している間は強く、利益がなくなれば自然に解消します。これは劣った関係ではなく、社会を回すために必要な関係です。

第二に、快楽の友愛。一緒にいて楽しいから付き合う関係です。飲み友達、趣味仲間、軽い冗談を言い合える同期。互いに楽しい間は続き、楽しさが消えれば疎遠になります。若い人に多い、とアリストテレスは観察しています。

第三に、徳の友愛、または「完全な友愛」。互いの「人柄そのもの」を尊敬し、相手の幸せを願って付き合う関係です。これだけが本当の意味で長く続く、とアリストテレスは言います。

なぜでしょうか。有用と快楽の友愛は、相手の属性(役立つこと、楽しいこと)に依存しています。属性は変わる。だから関係も変わります。徳の友愛は、相手の人柄そのものを愛している。人柄は人生をかけて練られていくものなので、容易には変わりません。だから関係も持続します。

ここに大人の友達問題の核心があります。私たちが日々作っている関係の多くは、有用の友愛か快楽の友愛です。それ自体は悪くない。けれども、それを「本当の友達」と取り違えると、利害や楽しさが消えたときに「捨てられた」と感じてしまいます。逆に、徳の友愛を求めるなら、それは時間と意識的な努力を要求する稀少な関係だと知っておく必要があります。

もう一人の自己:友愛が要求するもの

アリストテレスは『ニコマコス倫理学』第9巻4章で、徳の友愛を「もう一人の自己」と呼びました。友は鏡です。相手の中に自分が映り、自分の中に相手が映ります。

これには条件があります。

条件1:共に過ごした時間。アリストテレスは「友愛には塩の量が必要だ」と書いています。互いの人柄を本当に知るには、塩を分け合うこと(つまり食事を共にすること)、それも長期にわたって。一夜で出来上がる徳の友愛はありません。

条件2:相互の善意。互いが相手の幸福を、自分の幸福のように願う。これは犠牲ではなく、本質的に自分の喜びでもあります。友の成功を素直に喜べないなら、その関係はまだ徳の友愛に達していません。

条件3:似た価値観。完全に同じである必要はありませんが、何を大切にし、何を蔑むかという根本の方向が共有されていること。価値観が大きく違うと、互いの行動が「もう一人の自己」として理解できなくなります。

これらの条件は、現代でも変わりません。長く続く友情を持つ人は、たいてい何年もの時間を意識的に共有してきた相手がいます。引っ越しても、転職しても、結婚しても、継続して連絡を取り、定期的に会い、互いの人生の重要な瞬間に立ち会ってきた。これは自然発生ではなく、意志による継続です。

モンテーニュとラ・ボエシ:稀有けうな友情の証言

アリストテレスが体系を残したとすれば、モンテーニュは個別の証言を残しました。16世紀フランスのモンテーニュは、若い頃にエティエンヌ・ド・ラ・ボエシという法律家と出会います。出会って数年後、ラ・ボエシは32歳で病死しました。モンテーニュはその後の人生をかけて『エセー』を書きましたが、その執筆動機の一つは、失った友との対話の継続でした。

『エセー』第1巻28章「友情について」で、モンテーニュは彼との関係をこう書きます。

「私が彼を愛したのはなぜか、と問われたら、こう答えるしかない。彼が彼であったから、私が私であったからだ」

理由を持たない、属性に還元できない。これがモンテーニュの友情観の核心です。アリストテレスの徳の友愛をさらに先鋭化させ、「人柄全体への、解明不可能な肯定」として描きました。

モンテーニュは続けてこう書きます。普通の友情では、二つの魂は別々のままで一緒にいる。けれどもラ・ボエシとの関係では、二つの魂が一つに溶け合っていた。手紙に書いた秘密と、心に隠した秘密の区別がなくなる。これほどの友情は、千年に一度しか生まれない、と彼は言います。

希望と絶望が混ざった証言です。希望は、人生でこのような関係が一度でも持てるなら、その人生は十分に豊かだ、ということ。絶望は、これは意志だけで作れる関係ではなく、奇跡のような巡り合わせを含む、ということ。

友を持つことは、自分を持つこと

アリストテレスとモンテーニュの二人を重ねると、友情について三つのことが見えてきます。

一つ目に、種類を取り違えない。今ある人間関係を、有用・快楽・徳のどれに当たるか冷静に見ます。仕事仲間や飲み友達を本当の親友と思い込んで、相手が離れたとき過剰に傷つかない。それぞれの関係には、それぞれの寿命と効用があります。

二つ目に、徳の友愛は意志で作る。古い友人とのLINE、定期的な会食、人生の節目への立ち会い。これらは自然発生しません。意識して時間を割き、相手の人柄を見続けるという努力が要ります。30代以降に新しい徳の友愛を作るのは難しいけれど、不可能ではありません。何年もかかることを覚悟するだけです。

三つ目に、千年に一度の友愛は願ってよい。モンテーニュとラ・ボエシのような関係は、確かに稀少です。手に入らないことも多い。けれども、それを願うこと自体は、自分の友情観を深くします。「彼が彼であるから、私が私であるから」と言える相手を一人でも持てたら、それは人生の祝福です。

アリストテレスは『ニコマコス倫理学』で、友のいない人生は徳のある生き方として完全ではない、と書きました。友は、自分という人間を映してくれる鏡だからです。友を持つことは、自分を持つことと不可分です。今日、しばらく連絡していなかった一人にメッセージを送ってみる。徳の友愛は、そういう小さな継続の積み重ねの中だけで、ゆっくり育っていきます。

関連する哲学者

関連する著作

著作ニコマコス倫理学アリストテレス

幸福と徳を体系的に論じた倫理学の基本書

著作エセーモンテーニュ

「エッセイ」という文学ジャンルを生んだ自由な思索