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朱

『朱子語類』

しゅしごるい

朱熹·中世

朱熹の講義と対話を弟子黎靖徳が編纂した朱子学の膨大な語録集

哲学アジア

この著作について

南宋の朱熹と弟子たちとの対話・講義を、彼の没後約80年を経た1270年に弟子黎靖徳が主題別に編纂した140巻の大部の語録集。『朱子文集』と並ぶ朱子学研究の二大基本資料である。

【内容】

宇宙論(理気論・太極論)、心性論、『四書』『五経』の解釈、仏教批判、道家批判、政治論、修養法、歴史論、文学論など、朱熹の思想のほぼ全領域に及ぶ発言が140の主題別に分類配列されている。書き物では見られない口語的で率直な朱子の肉声が聞こえる資料として貴重。論語の注釈、陸九淵との鵞湖の論争、禅批判の舞台裏などが生き生きと記録される。

【影響と意義】

中国・朝鮮・日本の朱子学研究の必須文献として、東アジア知識人の基礎教養となった。江戸期日本では藤原惺窩・林羅山・山崎闇斎・佐藤一斎《さとういっさい》ら朱子学者全員が本書を熟読し、近代の朱子学研究(武内義雄・友枝龍太郎ら)でも中心資料。朝鮮では李退渓・李栗谷が本書を通じて朱子学を深化させ、韓国儒学の骨格を形成した。

【なぜ今読むか】

東アジア哲学史上最も影響力のあった思想家の「思考の現場」に直接触れられる稀有な資料。講義記録ならではの脱線・余談・同時代批判が、書簡や公刊書とは違う朱熹像を浮かび上がらせる。

どの訳で読むか

1冊で全体の主題を見渡したいなら、門人への訓戒から歴史と文学までを7章に組んだ三浦國雄の抄訳の文庫がある。汲古書院の訳注は巻ごとの分冊で訳者も分冊ごとに違うので、関心のある主題の巻を選ぶことになる。訓門人の巻は、注を見なくても訳文だけで読み通せるように作られている。

  • 三浦國雄訳注講談社・講談社学術文庫、2008年

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    書名に抄とあるとおり抜粋の訳で、「門生たちへ」から「歴史と文学」までの7章に組まれている。初出は1976年に朝日新聞社から出た本。文庫は592ページで、2014年に電子版が出た。

  • 興膳宏・木津祐子・齋藤希史訳註汲古書院、2009年

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    汲古書院の訳注シリーズの第2回配本で、巻10と巻11の「読書法」を収める。A5判340ページ。

  • 垣内景子訳汲古書院、2010年

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    シリーズの第3回配本で、巻7「小学」、巻12「持守」、巻13「力行」を収める。A5判330ページ。

  • 垣内景子編・訓門人研究会訳汲古書院、2012〜2017年(全3冊)

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    門人への訓戒を集めた巻113から巻121の「訓門人」を収め、2017年の第3冊で完結した。第1冊の「はじめに」によれば、注を見なくても訳文だけで読み通せるよう、伝統的な訳注の形をとらず訳文を冒頭に置き、訳文はすべて垣内が書き改めた。

  • 中純夫編・朱子語類大学篇研究会訳汲古書院、2013〜2022年

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    巻14から巻18の「大学」の訳注で、2013年の巻14から始まり、2022年に巻18が出た。

  • 野口善敬・廣田宗玄・本多道隆・森宏之訳汲古書院、2013年(上下2冊)

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    巻126「釈氏」の訳注で、上下2冊が同時に出た。

ほかに同じシリーズで、巻125「老氏」(山田俊訳、2013年)、巻98から巻100の張子・邵子の書(緒方賢一・白井順訳、2016年)、巻84から巻88の「礼」(吾妻重二ほか訳、2014年・2015年の2冊)があり、第1回配本の巻1から巻3は版元のサイトで品切れ・重版未定と表示されている(2026年10月時点)。同じ版元の汲古選書には、地方官としての朱熹の語録を集めた巻106「外任」を訳した、田中謙二の朱子語類外任篇(1994年、220ページ)もある。

さらに深く

【内容のあらまし】

全140巻は天地の理に始まり、巻140の詩の論と補遺で終わる。巻1から巻13は「理気」「鬼神」「性理」「学」、巻14から巻92は「大学」「論語」「孟子」「中庸」「易」「礼」など経書ごとの部、そのあと周子、程子、張子、邵子の書、程門の弟子、朱熹自身の学問や官歴、門人への訓戒、陸九淵ら同時代の学者、老子、仏教、宋と歴代の歴史、文章論と続く。多くの条の末尾には、その言葉を書き留めた門人の名が付く。

巻1は、太極とは天地万物の理の総称ではないかという門人の問いに、太極はただ天地万物の理だと答える一条で幕を開ける。理と気はどちらが先かと問われると、本来先後は言えないが由来をたどれば理が先で、しかも理は気を離れないと答える。人がまだいなかったとき理はどこにあったのかと聞かれると、ここにあると答え、海の水は杓で汲んでも担いで汲んでも碗で汲んでも同じ海の水だとたとえる。気が臼のように回るうちに滓が中央に固まって大地となったという。巻3は鬼神は二の次だと前置きして、風雨や雷が起こるのが神、収まるのが鬼だと説く。

巻10の「読書法」は「讀書乃學者第二事」(書を読むのは学ぶ者にとって二番目のことだ)で始まる。道理は人に元から備わり、本は聖人の経験を書き留めたものだという。巻12では、毎日「主人翁、目覚めているか」と自問し「目覚めている」と自答した瑞巌の僧を引き、工夫の要は自分を呼び覚ますことにあるとする。巻15は、一本の草木、一羽の鳥、一頭の獣にもみな理があると言う。周子の書を論じる巻94では、万物がそれぞれ太極をまるごと具えることを、空の月は一つでも川や湖のどこにでも映るのにたとえ、高い山の石の中に貝殻があることから、低い所が高くなり、柔らかいものが固くなったと推し量る。

巻104は朱熹が自分の学び方を振り返る巻だ。謝良佐の語録を、初めは銀朱で、二度目は粉筆で、三度目は墨筆で印を付けて読んだこと。任期を終えて泉州で手続きを待つあいだ、宿で『孟子』を一冊だけ借りて読み込んだこと。子夏の一章を三晩も四晩も考え、夜通しホトトギスの声を聞いたこと。門人への訓戒を集めた巻113から巻121の「訓門人」のうち巻116では、暇と食べ物があるなら半日は静坐し半日は書を読めと旅立つ門人に勧める。禅も学んだという門人が、法華経の要は「思量分別では解けない」という一句にあると言うと、ここではまさに思量分別が要るのだと返す。巻124は、陸九淵ほど足を据えた人は江南にいないと認めながら、『論語』の弟子たちの言葉を読むに足りないとする姿勢を批判する。巻139は文章に治世の文、衰世の文、乱世の文があると説き起こす。

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