『寛容論』
かんようろん
ヴォルテール·近代
ヴォルテールの寛容の論考
この著作について
ヴォルテールが啓蒙の中期に書いた、具体的な冤罪事件をきっかけに宗教的寛容を訴えた評論であり、現代の人権思想の古典的源流の一つ。
【内容】
トゥールーズで新教徒の父ジャン・カラスが、カトリックへの改宗を妨げるため息子を殺害したとして車輪刑に処された事件に、ヴォルテールは深く衝撃を受けた。本書はその冤罪を再調査する声を上げたパンフレットを膨らませた著作で、過去の歴史のなかから寛容と不寛容の実例を次々と取り出し、古代ローマ、ユダヤ教、中国、イスラム諸国と比較しながら、キリスト教世界の内部抗争がいかに不自然なものかを示す。結びには「すべての人間は兄弟と呼ばれる権利を持つ」と祈る有名な祈りが置かれている。
【影響と意義】
カラス事件は本書の影響もあって再審が行われ、名誉回復が勝ち取られた。寛容(トレランス)を啓蒙の中心徳目に押し上げ、フランス革命の人権宣言、そして現代の信教の自由や多文化共生の議論にまで連なる水源の一つとなった。
【なぜ今読むか】
異なる信仰・価値観の衝突が絶えない世界で、「相手を間違っていると思いながらも共に生きる」という寛容の作法を、身近な事件から考え直せる。熱のこもった具体的な語りが、抽象的な寛容論を血肉にしてくれる。
さらに深く
【内容のあらまし】
本書はまず、トゥールーズで起きたカラス事件の経緯を読者に手短に伝えるところから始まる。一七六一年、新教徒の商人ジャン・カラスの息子マルク・アントワーヌが家のなかで自殺する。当時の南仏では新教徒は法的に差別され、息子がカトリックへの改宗を考えていたために父が彼を絞殺したのだという噂がたちまち広まる。カラスは拷問にかけられても無実を訴え続け、最後まで罪を認めないまま、車輪刑によって処刑される。ヴォルテールはこの事件の細部を確かめ、明らかな冤罪だと確信し、再審に向けてヨーロッパの世論を動かそうと筆を執る。
中盤からは話題が大きく広がる。ヴォルテールは古代ギリシア・ローマ社会、ユダヤ教社会、初期キリスト教の歴史、中国の儒教社会、イスラム諸国、ペルシア、インドにまで歴史的視野を広げ、それぞれの社会で異なる宗教がどう共存してきたかを次々と例示する。たとえば古代ローマでは多くの神々が並列に祀られ、東方の信仰も比較的寛容に受け入れられていた。中国では儒・仏・道が公式に認められ、互いに激しい流血の争いを起こしていない。これに対しヨーロッパ・キリスト教世界の内部抗争、宗教戦争、異端審問、聖バルテルミーの虐殺の凄惨さは、人類史の中でも異様な現象だ、と容赦なく批判される。
後半では、寛容を擁護する具体的な論拠が並ぶ。神の意志は人間の知性で完全には測れないのだから、ある教義のひとつの解釈だけが正しいと言い張る根拠は誰にもない。商業も学問も、異なる信仰を持つ人々が共に暮らせる社会でこそ栄える。寛容を許さない者は、本人が少数派になったとき自分の身を守ることもできなくなる。これらの議論は法と政治の言葉で語られ、聖書からの引用と並べられる。
本書末尾には「神への祈り」として有名な一段が置かれる。ヴォルテールは皮肉や論争の調子を一旦やめ、人間が皆同じ脆い被造物であり、互いを兄弟と呼びうる権利を持つと、静かに祈る形式で書く。やがてこの本に動かされた世論はカラスの再審を勝ち取り、寛容の名を欧州の啓蒙の中心に押し上げていくことになる。
著者
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