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勝

『勝鬘経』

しょうまんぎょう

作者不詳·古代

在家の王妃が釈尊の前で説法する如来蔵思想の経典

宗教

この著作について

正式名『勝鬘師子吼一乗大方便方広経』。3〜4世紀にインドで成立した大乗仏教の重要経典で、5世紀の求那跋陀羅による漢訳が普及した。聖徳太子の『三経義疏』の注釈対象の一つとして、日本仏教思想史の起点に位置する経典である。

【内容】

舎衛国王の娘で阿踰闍国王妃となった勝鬘夫人が、釈尊の前で獅子吼(確信を持った説法)を行う構成が特徴。在家の女性が仏の前で主体的に法を説くという、インド仏教文学のなかでも極めて珍しい形式を取る。主題は「一乗思想」(究極の仏乗は一つであり、三乗は方便にすぎない)と「如来蔵」(一切衆生には仏性が本来的に宿る)の二つ。煩悩に覆われながらもその奥に純粋な如来蔵が光っているという希望の教えが、独特の文学的情熱をもって語られる。

【影響と意義】

中国で地論宗・摂論宗の如来蔵思想の柱となり、日本では聖徳太子の注釈を通じて以後の鎌倉新仏教の素地を形成した。華厳宗・天台宗・浄土教・禅宗の全てに影響する如来蔵思想の古典。

【なぜ今読むか】

女性の主体的な宗教実践の古代的証言として、ジェンダー論的再読にも開かれた稀有な経典。

どの訳で読むか

読み下し文と口語訳の両方で全文を読めるのは角川ソフィア文庫の大角訳で、『三経義疏』の抜粋とコラムも付く。如来蔵の思想を説くほかの経典とあわせて読むなら中公文庫の高崎訳がある。大蔵出版の2冊は、小川一乗が校註を付けた新国訳大蔵経の一巻と、和訳に解説を添えた雲井昭善の仏典講座である。

  • 大角修訳・解説KADOKAWA・角川ソフィア文庫、2022年

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    『維摩経』と一冊にした文庫オリジナル。二つの経の全文を読み下し文と口語訳で収め、『三経義疏』の抜粋と、経典が与えた影響を紹介するコラムを添える。この経の15章には、それぞれ日本語の見出しが付く(目次による)。

  • 高崎直道訳中央公論新社・中公文庫「大乗仏典」12(如来蔵系経典)、2004年

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    如来蔵の思想を説く五つの経典をまとめた巻で、この経もその一つとして入る。版元はこの巻の紹介で、この経を大乗仏教の在家主義を示す経典としている。

  • 小川一乗校註大蔵出版・「新国訳大蔵経」インド撰述部 如来蔵・唯識部8-1、2001年

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    小川一乗の校註による新国訳大蔵経の一巻で、央掘魔羅経、如来蔵経、不増不減経と同じ一冊に入る。

  • 雲井昭善著大蔵出版・「仏典講座」10(OD版)、2017年

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    仏典講座の一冊で、現在はOD版で出ている。高崎直道による書評の英文題は、本書をこの経の和訳と解説(Japanese Translation with Exposition)としている。

さらに深く

【内容のあらまし】

全15章からなる。舞台は舎衛国の祇園精舎で、法を信じてまだ日の浅い波斯匿王《はしのくおう》と末利夫人が、聡明な娘の勝鬘なら仏に会えばすぐに法を悟るだろうと語り合う場面から始まる。二人は仏の功徳をたたえる手紙を書き、使いを立てて阿踰闍国の宮殿まで届けさせる。手紙を読んだ勝鬘が、どうか私に仏の姿を見せてくださいと偈を唱えると、その念を起こしたとたん仏が空中に現れる。仏は、彼女が二万阿僧祇劫ののちに普光如来になると予言する。

第2章で勝鬘は、今日から悟りに至るまでと区切って十の誓いを立てる。戒を破らない、目上に驕らない、自分のために財を蓄えない、孤独な人や捕らわれた人や病人を見捨てない。戒を犯した者も見捨てず、折伏《しゃくぶく》すべき者は折伏し、摂受《しょうじゅ》すべき者は摂受するという誓いもここにある。誓いのとおりに行うなら天の花が降るようにと言うと、花が降り、空から、その通りだという声が響く。第3章の三つの大願を経て、第4章では、菩薩の無数の願いはすべて正法を摂受するという一つの大願に収まるとされる。正法を摂受する者は、求めに応じて教えを授け、頼まれなくても友となる。

第5章から議論は深まる。阿羅漢には、剣を手にした者に襲われるような恐れがなお残る。始まりのない無明住地は阿羅漢や辟支仏の智慧では断てず、如来の悟りの智慧だけが断てる。阿羅漢が涅槃を得たという言い方は仏の方便であり、三乗はすべて一乗に入るという。第8章は如来蔵をこう定義する。「如是如來法身不離煩惱藏,名如來藏」(このように、煩悩の蔵を離れていない如来の法身を如来蔵と名づける)。第9章は、一切の煩悩から離れている面を空如来蔵、数えきれない仏の性質から離れていない面を不空如来蔵と呼んで分ける。続く2章は、四聖諦のうち三つは無常で依りどころにならず、苦の滅だけが常であり依りどころだと述べる。

第12章は、生まれつき目の見えない人に色が見えず、生後七日の赤ん坊に太陽が見えないように、苦の滅は凡夫にも声聞や縁覚にも見えないと言う。そのうえで、仏の言葉を信じて如来の法身を常・楽・我・浄と見るのは正しい見方であり、そう見る者は仏の真の子だとする。第13章で勝鬘が、本来清らかな心が煩悩に染まることは知りがたいと述べると、仏もそれを認める。最終章で仏は空を歩いて舎衛国へ戻り、勝鬘は城に帰って友称王に大乗をたたえ、七歳以上の女性たちを導き、王は男性たちを導く。仏は祇園の林で帝釈天と阿難に経を説いて受持を命じ、帝釈天に名を問われると、各章の主題に当たる十五の名を順に挙げ、最後に経をあらためて帝釈天に託す。

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