『キリスト教綱要』
きりすときょうこうよう
カルヴァン·近代
プロテスタント神学を体系化したカルヴァンの主著
この著作について
ジャン・カルヴァンが1536年に初版を公刊し、1559年の決定版まで改訂を重ねた宗教改革期プロテスタント神学の総合体系書。
【内容】
全4巻から成る本書は、神の知識と人間の知識から始まり、父なる創造主としての神、子なる贖い主キリスト、聖霊と信仰生活、教会と国家という構造で展開する。中心教説は、人間の救いはただ神の恩寵にのみ基づくという「二重予定説」で、神があらかじめ救いに選ぶ者と選ばない者を定めているとする強力な神中心主義を打ち出した。同時に、労働・経済活動を神への奉仕と見る職業倫理、教会と世俗権力の分離、聖書のみに依拠する信仰観など、近代社会に通じる思想的条件を準備した。
【影響と意義】
本書はルター派と並ぶプロテスタンティズムの二大潮流「改革派(カルヴァン派)」の教義書となり、ジュネーヴ・オランダ・スコットランド・北米ピューリタンへ広がった。マックス・ヴェーバーが資本主義の精神の源泉として注目したことでも有名。
【なぜ今読むか】
近代ヨーロッパの社会・経済倫理の土台を理解する上で欠かせない一冊。宗教改革が単なる神学論争を超えて世俗社会を変えた理由が見えてくる。
さらに深く
【内容のあらまし】
本書はカルヴァンが二十六歳のとき、フランスのプロテスタントを擁護するためにラテン語で公刊した小著として始まり、その後二十数年にわたって版を重ねるたびに膨張し、一五五九年の最終版で全四巻八十章の大体系へと成長した。冒頭の献辞はフランス王フランソワ一世に宛てられ、福音派は決して反逆者ではないと弁明する。本論の入り口でカルヴァンは、神についての知識と人間についての知識は分かちがたく結びついていると述べる。自分の卑小さを知ることは神の偉大を知ることであり、その逆もまた真である。
第一巻は創造主としての神を扱う。聖書は神を知る唯一の確かな手引きであり、自然界も神の栄光を映すが、堕落した人間の理性だけでは正確に読み取れないとされる。三位一体、創造、神の摂理が論じられ、宇宙のいかに小さな出来事も偶然ではなく神の意志のもとにあるとされる。第二巻は贖い主キリストを扱う。原罪によって人間の意志は完全に堕落し、自力で善を選ぶことはできない。律法は罪を自覚させるためにあり、福音は恩寵としてのみ救いをもたらす。キリストは預言者・祭司・王の三職を兼ねて贖いを成就する。
第三巻は信仰と聖霊の働きを扱う。信仰とは、聖霊によって心に刻まれた、神の善意への確信である。義認は信仰のみによって、行為は救いの原因ではなくその実として位置づけられる。ここで本書最大の難所「予定論」が現れる。永遠の昔から、神はある者を救いに、ある者を捨てることへと選んでいる。人間にはその根拠を覗き見る権利はなく、ただ自分が選ばれた者の一員でありうるよう、信仰と聖化された生活に励むほかない。
第四巻は教会と国家を扱う。真の教会は説教と聖礼典が正しく行われる場所であり、長老制という独特の教会政治が提案される。洗礼と聖餐の二つだけが聖礼典として認められ、ローマ教皇制とミサが厳しく批判される。最後に世俗の権力が論じられる。国家は神に立てられた秩序であり、信徒は不正な権力にも原則として服従するが、神の戒めに反する命令には従うべきではない。マックス・ヴェーバーが資本主義の精神と結びつけて論じた職業倫理の萌芽は、勤勉な日常生活を聖なる召命と捉えるこの第四巻にすでに現れている。