『我と汝』
われと なんじ
ブーバー·現代
「私とあなた」の関係に人間存在の核心を見出した対話哲学の名著
この著作について
ユダヤ哲学者マルティン・ブーバーが1923年に公刊した、人間の根本的な関係様式を問い直す対話哲学の名著。
【内容】
人間の世界への関わり方を二種類に分ける。「我-汝」は、相手を全人格として正面から受け入れる対話的な関係であり、そこでは言葉にならないかけがえのなさが立ち現れる。一方「我-それ」は、相手を目的のための手段・客体として利用する関係で、世界を便利な道具の集まりとして扱う。どちらかだけで生きることはできないが、「我-汝」の瞬間においてのみ、真の出会いが成り立ち、人間は人間となる。最終章では、すべての「我-汝」の連なりの向こうにある永遠の「汝」として、神との関係が論じられる。
【影響と意義】
レヴィナスの他者論、ロジャーズのカウンセリング理論、教育哲学、医療におけるケア論に大きな影響を与えた。対話を重視する現代思想の源流の一つであり、ユダヤ教とキリスト教の架け橋としても読まれてきた。
【なぜ今読むか】
人を「役に立つ手段」として見る関係と、「かけがえのない相手」として向き合う関係の違いは、日常の人間関係を見直す鏡になる。すべてが機能と効率で測られる現代にこそ必要な一冊。
さらに深く
【内容のあらまし】
本書は三部構成だが、論文ではなく長い詩のような文体で書かれている。冒頭、ブーバーは人間が世界へ向かう仕方には二つの基本様式があると宣言する。一つは「我-汝」と呼ばれる関係様式、もう一つは「我-それ」と呼ばれる関係様式である。「我」という言葉でさえ、どちらの様式で発するかによって意味が変わる、と彼は強調する。
第一部では「我-それ」の世界が描かれる。それは観察し、分析し、利用する世界である。木を見て樹種を分類し、材積を測り、用途を考える。人を見て、肩書を確認し、自分にとって役に立つかどうかを推し量る。この様式は人間の生活に不可欠であり、科学技術と経済はこの様式の上に築かれている。しかしそこには「あなた」が現れない。すべてが「それ」の集まりにすぎないからだ。
第二部に入ると、「我-汝」の関係が語られる。同じ木に向き合っても、ある瞬間、樹種でも材積でもなく、その木そのものが私の前に立ち上がることがある。人と向き合うときも、肩書や利用価値の手前で、その人がかけがえのない「あなた」として現前する瞬間が訪れる。「我-汝」は持続できない。すぐにまた「我-それ」の世界に戻る。それでも、この瞬間を通じてのみ、人間は人間になり、世界は世界になる、とブーバーは説く。
第三部は祈りに近い調子で、神について語られる。あらゆる「あなた」との出会いは、それと知らないうちに永遠の「あなた」へと差し出されている。永遠の「あなた」は、決して「それ」になることのない唯一の相手であり、神とはこの究極の対話相手として現れる。神は概念で捉える対象ではなく、向き合うことでしか出会えない者である。教育、結婚、宗教、政治、あらゆる領域で、人間が人間でいられるかどうかは、「我-汝」の瞬間を取り戻せるかにかかっている、と本書は結ぶ。