『彼岸過迄』
ひがんすぎまで
近代
短編連作形式で自我と他者の問題を追った漱石後期の入口
この著作について
夏目漱石が1912年1月から4月にかけて東京朝日新聞に連載した長編小説。胃潰瘍から回復した漱石の後期三部作(本作・『行人』・『こゝろ』)の第一作であり、単一主人公の物語ではなく、複数の短編がゆるやかに連なる実験的構成をとる。
【内容】
全6章の短編連作。大学卒業後の就職に悩む「須永」、その友人「田川敬太郎」、敬太郎が偶然目撃する老紳士「田口」、田口の姪「千代子」らを順に焦点人物としながら、それぞれの視点が織りなすように進む。とくに須永と千代子の関係は、愛と嫉妬、自己意識の過剰、生きることへの躊躇という漱石的主題の結晶として読まれてきた。
【影響と意義】
連作短編を長編へと編み上げる形式は、日本近代小説における構成実験の一つの範例となった。後続の芥川龍之介、堀辰雄、太宰治、村上春樹らの連作構造にも遠い先例として影響が見える。題名は「彼岸(3月の彼岸)を過ぎるまでに連載を続けた」という作者のささやかな注記から来ており、作品制作の持続それ自体が題材化されている。
【なぜ今読むか】
大学卒業後の進路、結婚、家族との距離という、21世紀の若い読者にもまったく古びない主題が並ぶ。漱石後期への入口として読みやすい。
さらに深く
【内容のあらまし】
連載の緒言で漱石は、短篇を重ねて一つの長篇になるように仕組んでみたいと記す。本編は「風呂の後」「停留所」「報告」「雨の降る日」「須永の話」「松本の話」の六篇からなり、最後に短い「結末」が付く。
狂言回しは大学を出たばかりの田川敬太郎だ。職探しに倦みかけた彼は、下宿仲間の森本が語る冒険譚に好奇心をそそられる。森本は下宿代を六か月ほどためたまま姿を消し、大連から手紙をよこす。土間の傘入には、森本が自分で竹を伐り、握りに蛇の頭を彫った洋杖《ステッキ》が残され、手紙はそれを記念に贈ると言う。
「停留所」で、敬太郎は友人須永の叔父の田口に職の世話を頼むが、すぐには会えない。浅草の占いの婆さんには、近いうちに何か事があるから「自分のような他人のような、長いような短かいような、出るような這入るようなもの」を忘れるなと言われる。会えた田口に、私事でもいいから使ってくれと頼むと、数日後に速達が届く。四時と五時の間に小川町の停留所で電車を降りる、眉間に大きな黒子《ほくろ》のある男の行動を探って知らせろという。敬太郎は婆さんの謎を、自分のものとも森本のものともつかない洋杖と解き、こっそり持ち出す。停留所の若い女に気を取られながら、現れた男と彼女を洋食店の二階まで尾け、珊瑚の珠をめぐる会話に耳をすます。
「報告」で要領を得ない報告をした敬太郎は、田口の紹介状を手に当の男、松本を訪ねる。雨の日は会わないと断られ、改めて会うと、松本は、世の中に求めるところのある田口と違って高等遊民だと言う。尾行を打ち明けた敬太郎は、女は田口の娘で、停留所の待ち合わせは田口の悪戯だったと知らされる。松本は義兄の田口を箆棒《べらぼう》と呼ぶ。
ここから焦点が敬太郎を離れる。「雨の降る日」では、職を得た敬太郎が、松本が雨の日に客を断った訳を千代子に尋ねる。千代子は、松本の幼い娘の宵子《よいこ》が粥を食べている最中に急死した日の話をする。その日は雨で、紹介状を持った客が来ていた。「須永の話」は、柴又へ出かけた日の川甚での食事の席と、帰りの停車場の茶店とで、須永が語る身の上だ。須永の母は、千代子が生まれたとき、この子を息子の嫁にと田口夫婦に頼んでいた。須永は自分と千代子を「恐れない女と恐れる男」と呼ぶ。田口家の避暑先の鎌倉で、イギリスで教育を受けた青年高木に会った彼は、競争心はないと言いながら嫉妬に苦しみ、ひとり東京へ帰る。やがて千代子は、高木の名を口にした須永に「あなたは卑怯だ」と言い放つ。続く「松本の話」では、松本が、刺激を受けるたびに内へとぐろを巻き込む甥の性質を語り、旅先の甥が明石などから送ってきた手紙を示す。
著者
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