『エックハルト説教集』
えっくはるとせっきょうしゅう
マイスター・エックハルト·中世
エックハルトのドイツ語説教を精選した代表的邦訳
この著作について
ドイツのドミニコ会士マイスター・エックハルト(Meister Eckhart)が十四世紀初頭にケルンやストラスブールなどで行ったドイツ語の説教集の選訳で、中世キリスト教神秘主義の頂点を伝えるテキスト。
【内容】
本書に収められた説教は、ドイツ語俗語で聴衆に直接語りかける形を取る。中心となる主題は、「魂の根底(ゼーレングルント)」における神との一致、自我と所有への執着を手放す「離脱(ゲラッセンハイト)」、魂のうちに神が絶えず生まれるという「神の誕生」、そして被造性を突き抜けた向こう側にあるとされる「神なき神性」である。スコラ哲学の語彙を踏まえつつも、エックハルトはそれを内側から突破し、「神に神を求めぬように祈る」といった逆説的な言葉で、言語の限界ぎりぎりを語ろうとする。
【影響と意義】
中世後期のラインラント神秘主義の核であり、ニコラウス・クザーヌス、ルター、ドイツ観念論、二十世紀のハイデガー、鈴木大拙《すずきだいせつ》、西谷啓治《にしたにけいじ》ら多くの思想家に深い影響を与えた。異端宣告を経験した思想家でありながら、現代のキリスト教内外を問わず広く参照される特異な存在である。
【なぜ今読むか】
自我や所有から自由になりたいと感じる現代人に、禅仏教と響き合う「離脱」の言葉が強く働きかける。短い説教を一つずつ読むだけで、日々の態度が少し軽やかになる静かな力を持つ。
さらに深く
【内容のあらまし】
本書は中世末期、ドミニコ会士マイスター・エックハルトが行ったドイツ語の説教を選び訳した書物である。一篇は短く、聖書の一節を題目として始まり、神学校の講義のような分析と詩的な飛躍が同居する独特のリズムで進む。
冒頭近くに置かれる説教の一つは、ルカ福音書の「マルタとマリア」の箇所を題目に取る。来客に忙しく仕えるマルタと、足元に座って耳を傾けるマリア。通常の解釈では、マリアの観想こそ最善とされるが、エックハルトはここで意外な読み替えを行う。本当に成熟した魂は、マリアのようにただ静かに座る段階を超え、マルタのように世俗の働きのなかでも神と共にある段階に達する、と説く。観想と行為、聖と俗の素朴な対立が、ここでは静かに崩される。
中盤の説教群では、エックハルトの中心概念が次々と現れる。第一が「魂の根底(ゼーレングルント)」である。これは魂の最も深い、被造的なものをすべて取り去った地点であり、ここで神と魂は同じものとなる、と語られる。第二が「離脱(ゲラッセンハイト)」である。物への執着、自我への執着、さらには神への要求すら手放した者だけが、神を真に迎え入れることができる。第三が「神の誕生」である。歴史上のベツレヘムでキリストが生まれたように、いまこの瞬間にも、離脱した魂のなかで神が永遠に生まれている、というのである。
後半の説教では、論理が極限まで研ぎ澄まされる。「神に神を求めぬように祈る」という有名な逆説がここに置かれる。神を何かを与えてくれる存在として求めるかぎり、人は神ではなく神からの贈り物を求めているにすぎない。真に神を求める者は、贈り物どころか神そのものへの執着すら手放さねばならない、というのである。さらに彼は、被造的な神を超えた「神性(ゴッドハイト)」という概念にまで踏み込み、「神なき神」という言葉が言語の限界として響く。
読み終えると、信仰と無、所有と離脱、生と死の境界が静かに揺らぎ、自我に閉じこもっていた感覚が一回り軽くなる。中世神秘主義の冷たい炎のような書物である。
著者
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