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老

『老い』

おい

現代

老年の社会的・哲学的意味を徹底的に分析したボーヴォワールの晩年の大著

哲学社会

この著作について

シモーヌ・ド・ボーヴォワールが1970年に公刊した大著(原題『La Vieillesse』)。『第二の性』(1949)が女性の抑圧を分析したように、本書は老年という人生の最終段階を、生物学・民族誌・歴史・社会学・文学から総合的に解剖した、老年研究の記念碑的著作である。

【内容】

第一部で老いの外部的視点(生物学・民族誌・歴史・現代社会)を扱い、第二部で老いの内部的視点(時間の経験・身体・他者・労働・政治)を探る。現代社会が老いを「恥ずべき秘密」として隠蔽し、老人を周縁化する構造を告発し、同時に老年期もまた主体的な企投の時期として引き受けうる可能性を示す。サルトル実存主義の枠組みを晩年の生そのものに適用した稀有な実践である。

【影響と意義】

老年学・ジェロントロジーの哲学的基礎を提供し、現代のケア倫理・エイジング研究・介護哲学に広く影響した。高齢社会をめぐる思想的議論の出発点の一つ。

【なぜ今読むか】

超高齢社会の現代日本で、老いを単なる医療問題ではなく哲学的課題として捉え直すための最良の古典。

さらに深く

【内容のあらまし】

本書は序論と二部八章、結論からなる。

序論はブッダの伝説で始まる。シッダールタ王子は、宮殿を抜け出した最初の外出で衰えた老人に出会い、自分は将来の老いの住みかなのだから遊びも歓びも何になろうかと言って引き返そうとする。王子は人間を救うために生まれ、人間の条件の全体を引き受けようとしたから老人に自分の運命を認めたが、他の人々は都合の悪い面、とりわけ老いを避ける、とボーヴォワールは言う。老いは社会にとって口にするのもはばかられる恥ずべき秘密のようで、本書は沈黙の共謀を破るために書かれる。序論の終わりでは、資本主義の世界で人間は利益を生むあいだしか関心を引かず、そのあとは捨てられると言い、退職を自由と余暇の時期とする説を恥知らずな嘘と呼ぶ。最後の十五年か二十年をただの廃品として過ごすのは文明の失敗の証しで、老人を人間と見て生きた屍と見なさないなら、この証しは人を不安にさせるはずだと述べ、読者に手を貸してほしいと呼びかける。

第一部「外から見た老い」は生物学の章から始まり、老いは健康だけでなく社会の問題だと結論する。続く章は原始社会から西洋社会まで老人の扱いをたどり、近代社会も一部の原始社会に劣らず老人を貶め、養うだけの無用の口と見ていることを示す。第4章「今日の社会の老い」は、退職が長い休暇とも、廃品の山に捨てられることとも受け取られうると述べる。活動する者から活動しない者へ突然移され、老人に分類されて暮らし向きが落ちるのは、大多数の場合に心理的、道徳的な重い結果を招く悲劇で、その打撃はおもに男性を襲う。だが最も恵まれない層をなすのは、長生きする孤独な高齢の女性たちだという。

第二部「世界内存在」は、老いの発見と引き受けを身体の経験から論じる章で始まる。老いているのは私たちのうちにいる他者なので、自分の年齢は外から、他人によって知らされ、私たちはそれを素直には受け入れない。時間、活動、歴史の章には、無限を思い描けないのに有限も受け入れられず、この冒険が終わりなく続いてほしいという一人称の言葉がある。

結論は、生と対比されるべきは死ではなく老いだと言う。老いは生のパロディであり、死は生を運命に変えるからだ。老いが以前の生活の滑稽なまねごとにならないための解決は一つしかない。個人や集団や大義への献身、社会的、政治的、知的、創造的な仕事といった、存在に意味を与える目的を追い続けることである。人が最後の年月にもなお人であるために社会はどうあるべきかと問い、ずっと人として扱われてきたのでなければならないと答える。働けなくなった者に割り当てる運命によって、社会は自らの正体をさらけ出す。

著者

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