生まれてからずっと洞窟に縛られ、壁だけを見ている人たちがいます。背後の火が、運ばれる物の影を壁に映す。その影が、彼らにとっての世界のすべてです。
一人が鎖を解かれ、外へ出て、太陽を見ます。
まずは選んでみてください。
まず、選んでみる
生まれてからずっと洞窟に縛られ、壁だけを見ている人たちがいます。背後の火が、運ばれる物の影を壁に映します。その影が、彼らにとっての世界のすべてです。一人が鎖を解かれ、外へ出て、太陽を見ます。
外を見た人は、洞窟に戻るべきですか。
正解はありません。選ぶと、その答えがどの前提に乗っているかが出ます。
この問いを作った人
この比喩がよく知られているのは前半、影しか知らない状態から抜け出すという部分です。ですが話には続きがあり、そちらのほうが重い。
外へ出た人が洞窟に戻ると、目が暗さに慣れていないので、影をうまく見分けられません。残った人たちは笑います。 外へ出たせいで目が悪くなったのだと言い、外へ連れ出そうとする者がいたら殺してでも止めるだろう、と書かれています。
プラトンがこれを書いた背景には、師ソクラテスの処刑があります。外を見た人が戻ってきて殺される話を、弟子が書いている。
4つの答えは、それぞれ別の哲学に立っている
立場で決める。知った以上、影しか知らない人に伝える責任がある。プラトン自身の答えに近い立場です。哲学者は洞窟に戻って統治せよ、と『国家』では書かれています。
暮らしで決める。影で足りている人に、無理に外を語る必要はない。冷たく聞こえますが、外の話が相手の役に立つとはかぎりません。 目が慣れていない状態で語られる真理は、聞く側にはただの妄言です。
判断を保留する。外で見たものが本当に本物かも、確かめられていない。外にもさらに外があるかもしれない。 洞窟を出た人が「これが本物だ」と確信する根拠は、実は洞窟の中の人と変わりません。
手がかりで決める。外の光という手がかりを得た以上、それを持ち帰るのが筋だ。影と実物を両方見た人だけが比較できる。その比較こそが手がかりだ、という立場です。
この比喩の怖いところ
洞窟の話を読むと、たいていの人は自分を外へ出た側に置きます。 ですが話の構造上、それはおかしい。
洞窟の中の人たちも、自分が影を見ているとは思っていません。それが世界そのものだと思っています。 つまり「自分は外を見た」と感じることは、外を見た証拠になりません。
プラトンがこの比喩で本当に難しくしたのは、抜け出す方法ではなく、自分がどちらにいるかを判定する方法のほうです。そしてそれは、示されていません。
いま、この問いが出てくる場所
見たいものだけが表示される仕組みの中では、壁に映る影が人によって違います。自分の壁が壁だと気づくのは難しい。
そして気づいた人が戻って伝えようとすると、たいてい笑われます。2400年前に書かれた「戻ってきた人は笑われる」という一文が、いまのほうがよく当てはまるのは皮肉な話です。
外へ出ることより、戻ってからのほうが難しい。プラトンはそこまで書いていました。