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選んだ道を正解にする哲学:サルトルの自由と責任

サルトル『実存主義とは何か』の自由論を読み解きます。「実存は本質に先立つ」という命題から、過去の選択に縛られず、選んだ道を後から正解にしていく自由の使い方を考えます。

転職を決めた一週間後、別の会社からもっと良いオファーが届いていたかもしれない、と知ります。今の家を買った直後、相場が下がり始めます。あのとき大学院に進んでいれば、と何度も考えます。人生は選択の連続で、選ばなかった道は常に「もしかしたらもっと良かった」という影として残り続けます。

過去の選択を後悔しない方法はあるのでしょうか。20世紀フランスのサルトルは、後悔のメカニズムを哲学的に解体しました。彼の講演録実存主義とは何か(1946)は、戦後パリの聴衆に、自由とは何かを語った記録です。サルトルが示したのは、後悔をなくす技術ではなく、選んだあとに、その選択を正解にしていく自由の使い方でした。

目次
  1. なぜ後悔は減らないのか
  2. サルトル『実存主義とは何か』:実存は本質に先立つ
  3. 自由の刑:選ばないことは選べない
  4. アンガージュマン:選択を未来で正当化する
  5. 選んだ道を正解にしていく

なぜ後悔は減らないのか

時間が経てば後悔は薄れる、と言われます。確かに痛みのピークは過ぎます。けれども多くの人にとって、過去の選択への「もしも」は完全には消えません。あのとき別の道を選んでいれば、もっと幸せだったかもしれない。この感覚は、年齢を重ねるほど深まることもあります。

なぜ後悔はこれほど粘り強いのでしょうか。一つには、人間が選ばなかった道を理想化する傾向を持つからです。実際に選んだ道には、現実の困難や妥協が見えています。選ばなかった道は、想像の中だけにあるので、欠点が見えません。比較は最初から不公平です。

もう一つの理由は、私たちが選択を過去の一回の決定として扱いがちなことです。「あのとき選んだ」で時間が止まり、その選択は変えられない過去の事実として固定されます。けれどもサルトルは、選択をまったく違う角度から捉えていました。選択は、過去の一点ではなく、現在進行形の運動だ、と。

サルトル『実存主義とは何か』:実存は本質に先立つ

『実存主義とは何か』は、1945年10月にパリのクラブ・マントナンで行われた講演を本にしたものです。戦後の混乱期、若者たちは「自分は何者か」「何のために生きるのか」を切実に問うていました。サルトルはこの講演で、実存主義の核心を一文に凝縮します。

「実存は本質に先立つ」

道具やモノは、設計者がまず本質(用途や機能)を決めて、それから現実に作られます。ナイフはまず「切るためのもの」という本質があり、それから物として存在します。けれども人間は違う、とサルトルは言います。人間はまず存在し、それから自分が何者であるかを選択によって作り上げていくのです。生まれつき決まった本質はありません。

これは過去の後悔に対する根本的な処方箋になります。あのときの選択が「失敗だった」と言えるためには、自分の人生の正しい設計図がどこかにあるという前提が必要です。けれど人間に設計図はない。だから、ある選択を「失敗だった」と判定する基準も、最初からは存在しません。

選択は、結果を見て「失敗だった」と評価される類のものではなく、その後の人生で意味を作っていく出発点です。

自由の刑:選ばないことは選べない

サルトルの有名な言葉に、「人間は自由の刑に処されている」があります。これは自由を呪いとして描いているように見えますが、実は深い洞察です。

人間は自由から逃げられません。「選ばないこと」さえ選択になります。転職を決断しないのも一つの選択。今の関係を続けるのも一つの選択。何もしないのも一つの選択。あらゆる瞬間が選択の場面であり、誰かのせい、状況のせい、過去のせいにすることはできない、とサルトルは言います。

これは厳しい主張ですが、後悔への処方として読むと希望があります。後悔は、過去の自分が選択を「最終決定」として下したと考えるから生まれます。けれども実際には、人生は今この瞬間も選択の連続です。過去にAを選んだあと、今日Bを選び直すこともできる。過去にBを選ばなかったとしても、今からBに近い別の道を選ぶことはできます。

つまり、過去の選択は固定された過去ではなく、現在の選択によって意味が書き換わる過去なのです。あのとき大学院に進まなかった人が、今40代で大学院に進めば、過去の選択の意味は変わります。「進まなかった」のではなく「あのときは違うルートを選び、今のタイミングで進んだ」になります。

アンガージュマン:選択を未来で正当化する

サルトルの実存主義には、アンガージュマンという重要な概念があります。日本語では「自己拘束」「投企」「関与」などと訳されますが、本質は自分の選択に責任を持って未来へ投じていくことです。

過去の選択を後悔するモードと、アンガージュマンのモードは正反対です。

後悔モードアンガージュマンのモード
過去を見る未来を見る
「選ばなかった道」を理想化する「選んだ道」を育てる
受動:状況の被害者として自分を見る能動:状況を作り直す主体として自分を見る
過去の選択は固定過去の選択は今の行動で意味が書き換わる

サルトルが講演で繰り返したのは、選んだあとが本番だということです。ある会社に入った。ある人と結婚した。ある場所に住んでいる。これらはすべて、選んだ瞬間ではなく、その後の毎日の積み重ねの中で「正解」になっていく。

具体的には、こうです。

  • 転職を後悔するのではなく、今の職場で何が学べるかを最大化する
  • 結婚を後悔するのではなく、今のパートナーとどう関係を深められるかを問う
  • 住む場所を後悔するのではなく、今いる土地の魅力を発見する努力をする

これは「諦めて受け入れる」のとは違います。能動的に意味を作る運動です。今の状況を引き受けつつ、その中で何ができるかを最大化する。これがアンガージュマンの中身です。

選んだ道を正解にしていく

選んだ道を正解にする哲学を、サルトルから取り出すならこうなります。

第一に、選択を過去の一点として固定しない。あのときの決定が今の自分を縛っているように見えるとき、その縛りは多くの場合、自分が「もう変えられない」と思い込んでいることから来ます。サルトルの言葉では、選ばないことも選択。今この瞬間も、自分は何かを選び続けています。

第二に、選ばなかった道の理想化に注意する。実際に選んだ道には現実の困難が見えますが、選ばなかった道は想像の中だけ。比較は最初から不公平です。「もしも別の選択をしていたら」という思考が来たら、「想像の中の道と現実の道を比べている」と気づくだけで、後悔の力は弱まります。

第三に、選んだ道で意味を作る。今の仕事、今の関係、今の住まいの中で、今日できる最善を一つする。能動の動作が一つでも積み重なれば、過去の選択の意味は書き換わっていきます。

ここで一つ、サルトルから引き取れる強い問いを置いておきます。

「あのとき選ばなかった道」を考える時間を、「今選んでいる道」を最大化する時間に置き換えるとしたら、何ができるか

過去の選択を後悔するエネルギーは、未来を作るエネルギーと同じ場所から出ています。後悔に費やす分だけ、未来は痩せます。後悔から手を離して、その同じエネルギーを今日の行動に注げば、選んだ道は少しずつ正解になっていきます。

サルトルが講演を結んだ言葉に、こんなものがあります。「人間は、自分が作るところのものになる」。生まれつきの本質はない。過去の選択は固定された運命ではない。今日の動作の積み重ねが、自分という人間を作っていく。これは厳しい主張であると同時に、人生のどの段階からでもやり直せるという、最も希望に満ちた哲学です。

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