フィロソフィーマップ
禅

『禅マインド・ビギナーズマインド』

ぜんまいんどびぎなーずまいんど

鈴木俊隆·現代

「初心」の精神を説いた現代の実践的禅入門書として世界的ベストセラー

宗教哲学

この著作について

曹洞宗の僧・鈴木俊隆《すずきしゅんりゅう》が一九五〇年代にアメリカへ渡り、サンフランシスコ禅センターで弟子たちに語った法話を、弟子の一人が編集した英語書籍を底本とする禅入門書。

【内容】

冒頭に置かれた「初心者の心には多くの可能性があるが、熟達者の心には少ない」という一文が、本書全体の主題を凝縮している。坐禅の姿勢、呼吸、心の観察という具体的な身体指導から始まり、「正しく坐ることと、正しく生きることは別ではない」「悟りを求める気持ちさえ手放すこと」「誤って坐り続けること」「何度でも新鮮に出会い直す心」といった、禅の核心が短いチャプターで語られていく。抽象的な教理よりも、一息一息の呼吸と姿勢に重心を置く語り口が貫かれている。

【影響と意義】

原題『Zen Mind, Beginner's Mind』は英語圏で禅入門の決定版として読み継がれ、スティーブ・ジョブズら多くの読者を得た。禅センターのコミュニティは鈴木以降も継続し、アメリカの禅仏教と日本仏教の対話の原点となった。日本語にも逆輸入訳されて長く親しまれている。

【なぜ今読むか】

情報と比較が溢れ、「もっと上手く、もっと早く」の声に押され続ける現代に、「毎回を初心者として坐る」という助言は静かに強い。短く独立した章から成るため、通勤中や寝る前など、日々の合間に一節ずつ読むのにも向いている。

どの訳で読むか

2020年の50周年記念版を全訳した新しい訳で読むなら、2022年に出たPHP研究所の藤田訳が目安になる。新書で読める訳にサンガ新書の松永訳もあるが、版元ドットコムの出版社在庫情報は「不明」である(2026年10月時点)。

  • 藤田一照訳PHP研究所、2022年

    Amazonで探す

    書名は「[新訳]禅マインド ビギナーズ・マインド」で、2022年9月14日発売のB6判変型並製。原書の2020年の50周年記念版を全訳したもので、鈴木の弟子デイヴィッド・チャドウィックのあとがき(全28ページ)が新たに加わる。訳者の藤田は長年アメリカで禅の指導をしてきた僧侶で、版元は「よりわかりやすく、より読みやすく」をコンセプトに訳したと紹介している。電子版もある。

  • 松永太郎訳サンガ・サンガ新書、2012年

    Amazonで探す

    サンガ新書の55。新書判の並製で、308頁。書店発売は2012年6月27日。訳者の松永太郎は1949年東京生まれで、2010年に亡くなった(版元ドットコムの著者紹介による)。

さらに深く

【内容のあらまし】

もとになったのは、1965年から67年にかけてカリフォルニア州ロスアルトスの禅センターで語られた講話である。録音して書き起こしたマリアン・ダービーは、1966年の夏に鈴木が「本を書きたい」と語ったのを受け、毎週木曜の朝、編集した原稿を読み聞かせた。その原稿は1967年3月にリチャード・ベイカーへ渡り、1968年春にトルーディ・ディクソンへ託された。言葉を磨き、講話を三部に分け、各章の頭に置く一句を選んだのは彼女である。刊行は1970年で、鈴木は題を「ビギナーズ・マインド」だけにしたかったが、版元の求めで「禅」が付いた。

プロローグは1965年11月の講話にもとづく。日本語の「初心」を挙げ、修行の目的はいつも初心を保つことだと言う。坐禅が難しいのは、心と修行を根本の意味で清らかに保つのが難しいからで、経も一度だけなら良い読誦になるかもしれないが、重ねるうちに最初の心構えはたやすく失われるという。章の頭には「初心者の心には多くの可能性があるが、熟達者の心には少ない」の一句が置かれる。

第一部は姿勢の章から始まる。結跏趺坐《けっかふざ》で組んだ足は、右と左がありながらひとつになり、二つでもなく一つでもないありようを表すという。呼吸の章では、「私」と呼ぶものは、息を吸い吐くたびに揺れる自在扉にすぎないと語る。心に湧く雑念は、抜いた雑草を根元に埋めて肥やしにするように修行の養いになる。経典の四種の馬の話では、鞭の影を見る前に走りだす名馬より、痛みが骨の髄に届いてようやく走る馬に、仏はいっそう心を寄せるはずだと説く。

第二部は修行に向かう構えを扱う。粉がどうしてパンになるのかを知ろうと何度も作った仏陀にならい、生地をかまどに入れてよく見守れという章がある。瓦を磨く章の公案では、仏になりたくて坐る馬祖《ばそ》の前で師の南嶽《なんがく》が瓦を磨きはじめ、宝石にするのだと言う。そんなことができるのかと問う馬祖に、南嶽は坐禅で仏になれるのかと問い返す。第二部の最後の章は、道元が汲んだ水の半分だけを使い、残りを川へ返したという永平寺の半杓橋《はんしゃくきょう》の話に続いて、ヨセミテで見た高さ1340フィートの滝を語る。水はもともと分かれていない一つの水で、分かれて落ちるときに感情を持つという。

第三部は理解をめぐる章で、無常や空も語られる。何も信じないことを説く章では、形も色もなく、あらゆる形と色に先立つものを信じよと言う。仏陀の悟りの章で本文は閉じ、巻末のエピローグ「禅マインド」は1969年の講話をもとに、アメリカの弟子たちは僧でもまったくの在家でもない特別な人々だと語りかける。

関連する思想

Amazonで見る