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実

『実験室生活』

じっけんしつせいかつ

ブルーノ・ラトゥール·現代

科学的事実が実験室で構成される過程を追ったエスノグラフィ

哲学科学

この著作について

フランスの科学社会学者・哲学者ブルーノ・ラトゥール(1947〜2022)と社会学者スティーヴ・ウールガーが、ソーク研究所での二年間の参与観察に基づいて1979年に刊行した『Laboratory Life: The Construction of Scientific Facts』の邦訳。

【内容】

本書は、神経内分泌学のラボで「TRH(甲状腺刺激ホルモン放出ホルモン)」分子の存在が「事実」として確立されていく過程を、人類学的観察によって克明に追跡する。研究者の対話、実験ノート、機器のチャート、論文草稿の修正、学会での発表といった具体的な「文字を生み出す」作業の連なりを通して、自然のなかに既に存在する事実が「発見される」のではなく、ラボでの社会的・物質的・記号的な操作によって「構成される」ことを示す。後にラトゥール自身が発展させた「アクター・ネットワーク理論(ANT)」の出発点である。

【影響と意義】

本書は科学知識社会学(SSK)と科学技術社会論(STS)の流れの中で、最も影響力のある作品の一つとなった。ハッキング、ピッカリング、カロン、ロウら後続の科学研究者の方法論的支柱となり、人文社会科学全体における「物質的転回」の発火点ともなった。

【なぜ今読むか】

生成AIの登場で「事実とは何か」が再び問われる現在、その源流に立ち戻って考えるための古典である。

さらに深く

【内容のあらまし】

ラトゥールは1975年10月から1977年8月まで、カリフォルニアのソーク研究所で、ギユマンの神経内分泌学の研究室に入りこんで観察を続けた。本書はその記録を、ウールガーとの共著にまとめたものである。

第1章は、そのフィールドノートの抜き書きから始まる。「6分20秒」と時刻を刻みながら、化学部門から来たビルがスペンサーに細い小瓶を渡す。すぐあとに、ギユマンの研究室で2年間にとったノートの全体を研究室の一日にまとめた「観察者の物語」が続き、一つ二つの言明の信用がダウ平均のように数ポイント上下したと記す。著者たちはこの章で、研究者の日々の活動が科学的事実の構築に至る道筋を扱うと述べる。外からは整然と論理的に見える実践も、実は雑然とした観察の寄せ集めだという認識も、ここで示される。

第2章は、よそから来た観察者の目で研究室を眺める。科学を知らない観察者を立てた半ば虚構の語りで、著者たち自身、この記述が将来の修正を免れないと認める。その目に映る科学者たちは、取りつかれたように書き続け、一日の大半をコード化し、印をつけ、直し、読み、書くことに費やす奇妙な部族だ。質量分析計なども、物質を図や図表に変えるためだけの記入装置として捉え直される。論文の言明は、誰もが当然とみなす5型から、推測にすぎない1型まで五段階に並べられ、研究室の仕事は言明をある段階から別の段階へ動かすことだとされる。

第3章は、TRF(H)と呼ばれるペプチドの構造が事実になるまでをたどる。ギユマンはこの分野を、物質の構造を決める問題としてだけ定義し直し、参入の費用をつり上げて競争相手を4分の3減らした。1960年代以降の内分泌学というネットワークの外に出れば、TRF(H)はありふれた白い粉にすぎない。それでも著者たちは、構築されたと言うことは事実の堅さを否定することではないと念を押す。第4章は、ある研究者が、検定法の効く場所と効かない場所の違いは水に含まれるセレンにあるとひらめいたという逸話を、別の語りと突き合わせる。そちらでは、大学や大学院生の集まりといった制度と、ほかの人たちが、ひらめきの材料を運んでいた。第5章は、信用こそが科学の営みを大きく左右するとして、科学者を資本の投資家になぞらえる。

最終章は、無秩序から秩序をつくり出すという考えで全体をまとめ、現実とは、さしあたり変えるには費用がかかりすぎると見なされた言明の集まりだと述べる。1986年の改訂版は副題から「社会的」の語を外し、後記でその理由を述べる。科学の社会的研究が、この語がどこにでも当てはまることを示した結果、語が意味を失ったからだという。

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