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愛をずっと育てるための哲学:ボーヴォワールの愛と自由

ボーヴォワール『第二の性』が描いた愛の神話の構造を解きほぐし、自由を奪い合わない関係の作り方を考えます。サルトルとの契約結婚という実例とともに、長く続く愛のかたちを読み解きます。

付き合った頃のときめきは、確かにあったはずです。けれども3年、5年、10年と経つうちに、その感情は形を変えていきます。同じ家に住み、同じ習慣を共有し、同じ会話を繰り返す。「愛しているか」と問われたら、「たぶん」と答える。その「たぶん」が増えていきます。

長く続く愛は、なぜ最初の熱量を保てないのでしょうか。20世紀フランスのシモーヌ・ド・ボーヴォワールは、第二の性(1949)のなかで、愛をめぐる神話を徹底的に解体しました。彼女が示したのは、愛が冷めていくのではなく、私たちが「愛」と呼んでいたものが愛ではなかったという可能性です。

目次
  1. 愛は時間とともに減るのか
  2. ボーヴォワール『第二の性』:愛は神話化されてきた
  3. 内在と超越:相手を「物」にしない関係
  4. 必然の愛と偶然の愛:自由を残す制度
  5. 愛し続けるために、自由でいる

愛は時間とともに減るのか

恋愛初期の高揚感が減るのは、生理学的にはわかっています。ドーパミンやノルアドレナリンの分泌は数年でピークを過ぎる。けれども問題はその後です。熱が引いた場所に、何が残るのでしょうか。

家族のような安心感、と言う人もいます。けれども安心感の中身を覗くと、互いを「役割」として固定し合っているだけのことが多いのです。妻として、夫として、母として、父として。「相手は私の役割を果たしてくれる人」として認知し合っている関係は、本人たちが愛と呼ぼうと、ボーヴォワールから見ると別のものです。

ボーヴォワール自身は、生涯のパートナーであるサルトルと51年間の関係を続けました。法律婚はせず、互いに別の恋人を持つ自由を認め合った関係。それでも二人は最後まで知的・感情的に深く結びついていました。彼女が『第二の性』で書いた愛の理論は、自分の生き方そのものから引き出されています。

ボーヴォワール『第二の性』:愛は神話化されてきた

『第二の性』第二部「体験」の「恋する女」の章で、ボーヴォワールは女性が愛に求められてきた構造を分析します。彼女の有名な定式「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」は、性別役割が生物学的な所与ではなく、社会的に作られた制度であることを示します。

愛も同じだ、と彼女は言います。私たちが「真実の愛」「運命の人」「相手のすべてを受け入れる」と信じているものは、自然に湧き上がる感情ではなく、文学・宗教・映画・教育によって何百年も前から作り込まれてきた神話です。そして、この神話は男女に非対称な負担を強いてきました。男性は愛を人生の一部として持つことが許され、女性は愛を人生のすべてとすることが期待される。「愛が女の生きがい」という言説は、女性を相手の中に消えさせる装置として機能してきた、と彼女は鋭く指摘します。

これは21世紀の日本でも姿を変えて続いています。女性向けの結婚情報誌、ロマコメ映画、SNSのカップル投稿。「相手のために尽くす」「家庭に尽くす」「夫のために自分の夢を諦める」というナラティブは依然として強く、それに違和感を持つことすら難しくしています。

ボーヴォワールが言いたいのは、こうした神話化された愛は長続きしない構造を内包しているということです。なぜなら、誰かに「自分のすべて」を捧げた人は、いずれ自分が空っぽになることに気づくからです。

内在と超越:相手を「物」にしない関係

ボーヴォワールの哲学の中心概念に、内在超越があります。

内在とは、現状の中に閉じ込められている状態。家事、育児、ルーティン、日々の維持作業。これらは必要だけれども、それだけだと人は自分が拡張していく感覚を失います。超越とは、自分を越えて何かに向かっていく運動。仕事、創作、学び、社会的活動。新しい自分に開かれていく経験です。

ボーヴォワールが愛について言ったのは、こうです。長く続く愛とは、互いの超越を奪わない関係である。愛が深まるどころか相手を内在に閉じ込める関係は、神話化された愛の典型です。「家にいてほしい」「私のために夢を諦めてほしい」「私だけを見てほしい」。これらは愛の言葉に聞こえるけれど、相手を物として固定する力が働いています。

健全な愛は、互いが自由な主体として超越し続けることを支え合います。相手が新しい仕事に挑戦するとき、応援する。相手が自分の知らない友人と新しい関係を作るとき、嫉妬しすぎない。相手が一人の時間を欲しがるとき、それを尊重する。これらはすべて、相手を内在に閉じ込めない努力です。

矛盾するようですが、自由を残し合う関係の方が、長く続くのです。なぜなら、相手が自由な主体として呼吸できる場所では、相手も自発的に戻ってきたいと思うからです。檻の中の愛は、いずれ檻からの脱走を生みます。

必然の愛と偶然の愛:自由を残す制度

ボーヴォワールとサルトルが20代で交わした有名な「契約」があります。二人の関係を「必然の愛」とし、それぞれが他者と持つ関係を「偶然の愛」として認め合う、というものでした。

これは現代的な意味でのオープンリレーションシップとは少し違います。二人にとって最も中心的な関係は互いであることを確認した上で、互いの自由を縛らない、という宣言でした。実際、二人はその後さまざまな恋人を持ちましたが、どの恋人にも「私のサルトルとの関係が一番大事」「私のボーヴォワールとの関係が一番大事」と伝え続けました。

この生き方を真似する必要はありません。ほとんどの人にとって一夫一妻制が現実的ですし、ボーヴォワール自身、契約の中で苦しんだ時期もありました。けれども契約という発想そのものには、長く続く愛の知恵が含まれています。

普通の結婚も、実は契約です。ただ、その内容が暗黙の社会的期待で埋められていて、二人で交渉した形跡がないことが多い。家事の分担、お金の使い方、自由時間の使い方、友人関係、仕事の優先順位。これらを「自分たちで決めた合意」として再交渉するだけで、関係はずいぶん変わります。沈黙の中で蓄積する不満が、言葉になって調整できるからです。

愛し続けるために、自由でいる

愛をずっと育てるための哲学を、ボーヴォワール一人から取り出すなら、こうなります。

互いを役割で固定しない。妻、夫、母、父、稼ぎ手、家事担当。これらは関係の便宜上の名前であって、自分の全部ではありません。役割の奥にいる相手の自由な主体を、忘れずに見続けます。

互いの超越を支える。相手が新しいことを始めようとしたら、それを脅威と感じる前に、面白がる練習をします。相手が一人の時間を欲しがるとき、それを愛されていない証拠と読み替えないようにします。

契約を更新する。何年も前に決めた暗黙の合意を、定期的に話し合いで再交渉する。「これって今のお互いに合ってるかな」を聞ける関係を保ちます。

ボーヴォワールが『第二の性』の最後の方で書いたのは、女と男が「自由な主体として、互いを認め合うとき」にだけ、本当の愛は可能だということでした。これは性別を超えた、すべての長い関係への提案です。愛は、自由の対立物ではありません。自由を奪い合わない関係こそが、長く深く続く。今日のパートナーに、相手の自由を一つだけ思い出して尊重する。それが、明日の二人を作っていきます。

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著作第二の性ボーヴォワール

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