『民主主義と教育』
みんしゅしゅぎときょういく
ジョン・デューイ·近代
デューイがプラグマティズムの教育哲学を体系化した主著。教育と民主主義の不可分な関係を論じる
この著作について
アメリカのプラグマティズムを代表する哲学者ジョン・デューイが、コロンビア大学での長年の実践と思索を総合した教育哲学の主著。
【内容】
全二十六章で、教育を「未成熟な存在を成熟へと導くために、社会が自己を更新していく過程」として定義するところから始まる。続いて、模倣と訓練と教育の違い、学校と社会の関係、民主主義が前提とする人間像、科学的方法と教育、カリキュラムにおける経験の役割、職業教育と一般教育の統合、遊びと仕事、思考と道徳の結びつきが順に論じられる。中心的な命題は、「教育とは経験の継続的な再構成である」と「民主主義は政治体制である以前に、共通の経験を共有する生活様式である」の二つであり、学校を民主的な共同体の小さな原型として捉える視座が貫かれる。
【影響と意義】
二十世紀の進歩主義教育運動の理論的支柱となり、プロジェクト型学習、問題解決学習、協同学習、総合的な学習の時間など、現代の教育改革のほとんどが本書を何らかの形で参照している。日本でも戦後の新教育運動、総合学習、アクティブラーニングの議論に繰り返し参照されてきた。
【なぜ今読むか】
AIがあらゆる情報と技能を肩代わりし得る時代に、「人は何のために学校に集い、何を経験するのか」という問いは、教育の側に再び戻ってくる。教師や保護者、政策担当者のみならず、学び直しを考えるすべての大人にとって、原点に立ち帰るための書物である。
さらに深く
【内容のあらまし】
本書は全二十六章という長丁場だが、最初の数章で議論の土台がしっかり据えられる。第一章でデューイは、教育を「未成熟な存在を成熟へ導く社会の自己更新の過程」と定義する。動植物が次世代に生命を引き継ぐように、社会もまた自分の生活様式を次世代に引き渡すことなしには続けない。教育とはその引き渡しの過程そのものだ、と彼は述べる。
第二章から第六章にかけては、模倣・訓練・教育の違いが順に整理される。鸚鵡返しの暗唱は教育ではない、罰と褒美による条件付けも教育ではない、と排除されていく。本物の教育は、子どもが自分の経験のなかで意味を発見し、それを次の経験に生かす連続的な営みに他ならない、というのがデューイの基本テーゼである。続く章では、未開社会から近代社会への教育の歴史的変容、学校が社会から切り離されてしまった近代の歪みが論じられる。
中盤の第七章から第十四章では、本書の代表的な命題が次々に提示される。教育は経験の継続的な再構成であり、過去の経験を未来の経験に活かす意味の連鎖を育てることに尽きる。民主主義は単なる政治体制ではなく、共通の経験を多様な人々が共有しながら生きていく生活様式であり、だから民主主義の存続には、それにふさわしい教育が不可欠となる。学校は将来の民主社会の準備場ではなく、いま現にある小さな民主的共同体でなければならない、と説かれる。
後半の第十五章から第二十四章では、具体的な争点が論じられる。労働と余暇、職業教育と一般教育の対立、興味と訓練、思考と方法、自然と人為、個と社会、知識と道徳。デューイはどの対立に対しても、二項を切り離さず、生きた経験のなかで結び直す道を提案する。職業教育を単なる技術訓練に閉じ込めず、社会の意味を学ぶ機会と捉え直す姿勢が一貫している。
最終の二章で、教育の哲学的・道徳的次元がまとめられる。知ることと行うこと、徳と知識は別物ではなく、よく経験することのなかでひとつになる。本書は教育論であると同時に、民主社会という生き方そのものへの長い手紙として読める。