
アラン・チューリング
Alan Turing
1912年 — 1954年
コンピュータ科学の父、暗号解読の英雄
この人物について
計算とは何かを数学的に定義し、人工知能の可能性を拓いた英国の数学者・論理学者。現代コンピュータの理論的父祖とされる。
【代表的な著書・業績】
1936年の論文「計算可能数について」で導入したチューリングマシンは、計算可能性の数学的定義を確立し現代コンピュータ科学の理論的基盤となった。第二次大戦中はブレッチリー・パークでナチス・ドイツのエニグマ暗号解読に決定的な貢献をした。戦後の論文「計算機械と知能」ではチューリングテストを提案し、形態形成のパターン形成理論も先駆的に展開した。
【思想・考え方】
「機械は考えることができるか」という問いを探究し、知能を内面状態ではなく外部から観察可能な振る舞いで判定するチューリングテストを打ち出した。ヒルベルトの決定問題を否定的に解決して数学の原理的限界を示しつつも、計算という形式的過程の普遍性を信じた。形式的数学と実践的エンジニアリングを結合する稀有な思考者であった。
【特徴的な点】
当時の英国で違法とされた同性愛を理由に有罪判決を受け、化学的去勢を強いられた末に41歳で死去した。2013年に死後恩赦が与えられ、2019年には英国50ポンド紙幣の肖像に選ばれた。
【現代との接点】
AI、コンピュータ科学、暗号理論のすべてがチューリングの仕事に基礎を置き、LGBTQ+の権利の象徴としても重要な存在である。
さらに深く
【生涯と業績】
アラン・チューリング(1912〜1954)は、ロンドンのメイダ・ヴェールに、インド植民地庁官吏の次男として生まれた。パブリックスクール時代の親友クリストファー・モーコムの夭折は、心とは何か、機械は心を持ちうるかという終生の問いの発端となった。ケンブリッジ大学キングス・カレッジで数学を修め、マックス・ニューマンの講義でヒルベルトの決定問題に触れたことが出発点となった。プリンストン大学でアロンゾ・チャーチのもとで博士号を取得した後、第二次大戦中はブレッチリー・パーク・ハット8の責任者としてドイツ海軍のエニグマ暗号を解読、ボンベを設計して大西洋の戦いの趨勢を左右した。戦後はマンチェスター大学で初期コンピュータMark Iの設計に関わり、形態形成の数理モデルにも取り組んだ。1952年に同性愛を理由に有罪判決を受け、投獄に代えて化学的去勢を強いられ、1954年6月7日、青酸カリによる中毒で41歳の生涯を閉じた。2013年にエリザベス二世から死後恩赦が与えられ、2019年に50ポンド紙幣の肖像となった。
【科学史的意義】
1936年の論文「計算可能数について、決定問題への応用」は、計算という概念を数学的に定義する「チューリングマシン」を提示し、ヒルベルトの決定問題に否定的解答を与えた。これはゲーデルの不完全性定理と並ぶ数学基礎論の金字塔であり、あらゆる計算可能関数を模倣する万能機械の構想は、現代コンピュータのアーキテクチャの理論的原型となった。「計算機械と知能」(1950)では、「機械は考えるか」という問いを模倣ゲーム、いわゆるチューリングテストに置き換える操作主義的定式化を行い、人工知能という学問領域の出発点を据えた。形態形成の反応拡散方程式や、暗号装置の工学的実装まで、抽象数学と具体的機械を横断する稀有の知性であった。
【影響と継承】
アルゴリズム、計算複雑性、プログラム検証、量子計算、機械学習に至るコンピュータ科学の全領域が、チューリングの枠組みを土台としている。チューリング賞はノーベル賞に相当する計算機科学の最高栄誉である。LGBTQ+権利運動における象徴的人物として、2017年の「チューリング法」による同種の有罪判決受刑者の遡及的恩赦にも名を残した。
【さらに学ぶために】
アンドルー・ホッジス『アラン・チューリング:エニグマ』が信頼できる評伝である。映画「イミテーション・ゲーム」も入口として入りやすい。考えるとは何かというチューリングの問いは、生成AIの時代にこそ切実な主題である。