『饗宴』
きょうえん
古代
プラトンが「愛(エロス)」の本質を対話形式で探求した哲学的名著
この著作について
プラトンが愛(エロス)の本質を対話形式で探求した傑作。宴席を舞台にした劇的構成の中に、哲学と文学の融合が際立つ。
【内容】
悲劇詩人アガトンの優勝祝いに集まったソクラテスら知識人たちが、順番にエロス賛美の演説を行う。アリストファネスは「かつて人間は二つに分かれた一つの存在で、愛とは失われた片割れを探し求める営みだ」という神話を語る。最後にソクラテスが巫女ディオティマから聞いた教えとして、エロスとは欠けたものが完全なものへ向かう衝動であり、肉体的な美から出発して最終的に「美そのもの」のイデアへ上昇していく階梯だと論じる。
【影響と意義】
西洋における愛の哲学的考察の出発点であり、「プラトニック・ラブ」という語の起源となった。ルネサンスのフィチーノを介して近代の芸術観・恋愛観に深く食い込み、精神的愛と肉体的愛をめぐる議論の枠組みを設定した。文学作品としての完成度も高く、哲学の議論と詩的な語りが一つの作品のなかで結びついている。
【なぜ今読むか】
「誰かを好きになる」という日常的な経験を、自己の欠如・美への憧れ・超越への欲望として読み直す視点が得られる。恋愛が消費される時代に、愛の深さを取り戻す一冊である。
どの訳で読むか
解説と年譜のついた文庫を選ぶなら、中澤訳が目安になる。1950年代と60年代から出ている文庫には岩波文庫の久保訳と新潮文庫の森訳があり、角川ソフィア文庫の山本光雄訳は友愛を論じた短い対話篇もあわせて読める。補註や詳しい解説のついた本で読むなら、『パイドン』と1冊になった朴訳や、訳と詳解を1冊にした山本巍訳がある。
久保勉訳岩波書店・岩波文庫、1952年
Amazonで探す岩波文庫の通し番号は青601-3で、194ページ。本文の前に序説と凡例、後ろにあとがきと訳者注を置く。版元の紹介文は、原題が「一緒に飲む」というほどの意味だと説明している。電子書籍もある。
森進一訳新潮社・新潮文庫、1968年
Amazonで探す224ページ。著者名をプラトーンと長音で表記する。版元の紹介文も、人名をアガトーン、ソークラテースのように長音で書いている。
山本光雄訳KADOKAWA・角川ソフィア文庫、2012年
Amazonで探す文庫の書名には「恋について」という副題がつく。友愛を主題にした短い対話篇もあわせて収め、それぞれに訳註がつく。巻末に訳者解説と、竹田青嗣の解説がある。224ページ。電子版もある。
中澤務訳光文社・光文社古典新訳文庫、2013年
Amazonで探す訳者まえがき、解説、年譜、訳者あとがきがつく。版元は「決定訳」とうたっている。電子書籍もある。
朴一功訳京都大学学術出版会・西洋古典叢書、2007年
Amazonで探す『パイドン』と1冊にした四六判変型の上製本で、486ページ。巻末に補註、解説、地図、索引がつく。
山本巍訳・解説東京大学出版会、2016年
Amazonで探すA5判で448ページ。前半は場面ごとに小見出しを立てた訳と訳注、後半は作品の背景や構成、舞台設定を論じる詳解で、主な文献と索引もつく。
ほかに、鈴木照雄訳を収めた岩波書店のプラトンの全集第5巻(1974年)があるが、版元では品切れと表示されている(2026年10月時点)。
さらに深く
【内容のあらまし】
話は又聞きで始まる。語り手のアポロドロスは、昔のその宴にいなかった。いつも裸足でソクラテスを慕っていたアリストデモスから聞いた話を、知人にせがまれて語り直すのである。
その日のソクラテスは珍しく湯を浴び、サンダルを履いていた。招かれていないアリストデモスを連れてアガトンの家へ向かうが、途中で考えごとに沈み、隣家の玄関先に立ち尽くす。遅れて席に着くと、前夜の酒が残る客が多く、今夜は無理に飲まず、笛吹き女も下がらせる。代わりに医者のエリュクシマコスが、左から順にエロスを讃える演説をしようと持ちかける。
パイドロスはエロスを最も古い神と呼び、愛し合う者たちで軍隊を作れば、恥を恐れて誰も逃げないと説く。パウサニアスは、エロスにも天上と世俗の二通りがあるとする。アリストファネスはしゃっくりが止まらず、エリュクシマコスが順番を代わる。治ったアリストファネスが語る昔の人間は、球の形で手足が四本ずつ、顔が二つあり、性も男と女と男女の三つあった。神々に挑んだため、ゼウスは卵を髪の毛で切るように彼らを二つに割った。
アガトンがエロスを最も若く柔らかな神と讃えると、ソクラテスは問いを重ねる。愛は何かへの愛であり、人は持っていないものを欲しがる。ならばエロスは美しくない。アガトンは、自分の言ったことを理解していなかったと認める。ソクラテスは、マンティネイアの女性ディオティマの教えを語る。エロスは神と人のあいだを取り持つ霊(ダイモン)で、アフロディテの誕生祝いの宴のあと、酔って眠った豊かさの神ポロスに、物乞いに来た貧しさのペニアが寄り添って身ごもった子だ。母に似て貧しく家もなく、父に似て知恵を求め続ける。愛の働きは美しいもののなかで子を産むことで、人は身体だけでなく魂でも身ごもる。その先に階梯がある。一つの美しい体から、すべての美しい体、魂の美、法や制度、学問へと上り、最後に、生まれも滅びもしない美そのものを見るという。
戸が叩かれ、蔦《つた》とすみれの冠をかぶった泥酔のアルキビアデスが乱入する。彼はエロスではなくソクラテスを讃えると言い、この男は開くと中から神々の像が現れるシレノス像のようだと語る。冬の夜に同じ外套《がいとう》にもぐり込んでも何も起きず、父か兄と寝たように朝を迎えた話や、戦地ポテイダイアで氷の上を裸足で進み、ある夏の朝から翌朝まで一つ所に立って考え続けた話が続く。美そのものの話の直後に、生身のソクラテスが語られる。
夜明けに目を覚ましたアリストデモスが覚えているのは、眠気に負けかけたアガトンとアリストファネスに、悲劇の作者は喜劇の作者でもあると認めさせるソクラテスの姿である。

